脇道ナビ (66)  『向こう側の世界』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第66回 『向こう側の世界』

彼は真面目に生きている。確かに、頭の先からつま先まで茶色く、しかもギラギラと脂ぎっているので、日焼けサロンにでも行っているようなチャラチャラした奴と誤解されやすい。そんな風貌が周りの人々に好ましく思われていないことを彼も知っており、明るいところは避けているのがいじらしい。それでも、周りの人々は暗かった場所を急に明るくして、彼を見つけ出しては追いまわす。

他にも、多くの人々が彼のことを好ましく思っていない理由がある。彼が食べるものにお金を支払っていないことだ。しかし、彼にしてみれば、決して盗んでいるわけではなく、きちんと容器に入れていない、つまり、ほったらかしにされた食べ物をほんの少しだけ、いただいているだけだと言う。

あるいは、彼が触れた食べ物は黴菌がついていると言うが、それも別に彼が黴菌を生み出しているわけではないので、彼にしてみれば単なる言いがかりだ。それでも、彼は黙々と生きている。それが、ゴキブリの世界では真面目な生き方であり、常識であるからだ。従って、ゴキブリの世界からみれば、人間は自分勝手で、ずる賢く、不正義で、理不尽で、暴力的な天敵にしか見えないはずだ。

こうした自分達の世界とは全く違う考え方や常識があることは珍しいことではない。宗教、政治、イデオロギー、経済、伝統、知識、言語、健康状態、肌の色、能力、住んでいる場所、あるいは数の大小・・・。それらの違いをお互いが受け入れられなくなると、いさかい、反目、差別、さらいは不幸にも戦争まで起こるのが、悲しいところである。もちろん、そんなムツカシイ話はさておいても、自分達の考え方や常識が、いつでも、どこでも通じる訳ではないことだけは胆に銘じておくべきだ。

例えば、日本人にすればカッコ良いネーミングでも、ある国に持っていくと多くの人が赤面してしまうようなものであったような失敗は数多くある。私たちの多くがきれいな色だと思い込んでいるものでも、ある人たちにとっては、受け入れ難い、けばけばしいものであることも珍しい話ではない。自分たちの常識とは違った世界が常にあることを理解し、向こう側の世界にどっぷりと浸かって理解するくらいの覚悟と頭の柔らかさがなければ、ユニバーサルデザイン、バリアフリーデザインは掛け声だけの話になってしまうはずだ。ただ、ゴキブリの世界だけは理解したいとは思わないが。

<岸田 能和>