脇道ナビ (62)  『ケータイが変えたもの』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第62回 『ケータイが変えたもの』

電車の中。コーヒーショップ。会議の合間。いや、歩きながらでさえ、みんながうつむいてケータイのメールを読んだり、書いたりする姿は珍しくなくなってしまった。そんな姿を、あるアナウンサーが「笏」(しゃく)を持つ人が並ぶ儀式のようだと言った。言うまでもなく笏とは聖徳太子が持っているような細長い板である。最初は式次第を書いた一種のカンニングペーパーのようなものだったが、やがてカタチだけ残って正式な場での装束の一つになったそうだ。

電車の中で周りの人たちがメールをやりとりしているのをみると、私も、とりあえずケータイを開いてメールをチェックする。何となく、「笏」を持たずに正式な場に迷いこんだような気がするからだ。ただ、友人の少ない私にはケータイメールが来るはずもなく、小さなボタンを押すのも面倒なので、打つこともなく、すぐにしまってしまう。

本屋さんの美術書のコーナーに行くと、人のさまざまなポーズを集めた写真集やイラスト集がある。デザインや絵を書くときの参考にするための本である。歩いている姿、ものを持ち上げる姿、寝転ぶ姿、走る姿、話す姿・・・などいろいろある。次の版からは「電車のつり革にぶら下がって、ケータイのメールをチェックする姿」「コーヒーを飲みながらのメールチェック」などというポーズが追加され、「公衆電話のダイヤルを回すポーズ」といったシーンは削除されるのだろう。

時間さえあれば、「笏」を持つ人のようにケータイのメール画面を覗き込んでいる人たちがあふれる電車の中。あるいはコーヒーショップ、会議室、歩道などもみんなうつむいてケータイをのぞきこんでいる。いわば、ケータイが街の風景を変えたのだ。

同じくケータイが私たちの周りの風景を変えたのが、ケータイのカメラ機能だ。先日もクルマの展示会でキレイなコンパニオンに男性達が、腕を一杯に伸ばし、ケータイを突き出すようにして取り囲んでいた。テレビのニュースでも大事故の現場で、やじ馬たちがカメラつきケータイを突き出して撮影している姿が写し出していた。

ケータイが変えたのは、いつでも、どこででも、会話ができ、メールや写真のやり取りができるようになったことだけでない。どうやら、街中や人の姿さえも変えたのだ。手のひらに載る小さなケータイでさえ、街中の風景を変えることがあることを、デザイナーや商品企画者はよくよく理解しておいたほうが良いだろう。

<岸田 能和>