脇道ナビ (46)  『腐っても鯛、禿げてもショーンコネリー』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第46回 『腐っても鯛、禿げてもショーンコネリー』

今さら、ジタバタするつもりはない。父や兄の姿を見てきたので、いずれは、こんなときが来ることは覚悟していた。それでも、鏡を見るたびに頭のてっぺんに見える地肌が広がっているのをみると、たそがれを感じてしまう。だからと言って、昔は青春ドラマの主役をやっていた俳優が宣伝するような薬をつけたり、キレイなお姉さんが相談にのってくれるカツラのお世話になったりする気はない。あくまでも、年輪を刻んだ自然の姿でいたいと思っているからだ。ただ、自然にとは言っても、カッコ良くありたいと思うのは人情だ。そこで、いろいろと考え、思いついたのは、ショーンコネリーだ。007 を演っていた若い頃もカッコ良かったが、年をとって髪の毛が頭の脇だけになってもカッコ良い。「よし、決めた。あんな禿げ方を目指す!」と妻に向かって宣言した。すると彼女は「腐っても鯛、禿げてもショーンコネリー」と冷たく言い放った。そして、ショーンコネリーが頬に生やしているひげも、私が生やすと単なる無精ひげにしか見えないと追い討ちをかけた。つまり、土台が良いから禿げようが、ひげを生やそうが、年をとろうが、それなりに渋くてカッコ良いと言うのだ。

確かに、反論の余地はない。もともとのつくりが違うので、私が禿げて、ひげを生やすと、ただの貧相なオヤジにしかなれないのだ。つまり、単に年をとるだけではダメなのだ。

こうしたことはモノでも同じだ。長く、大切に使いこんで、その味を楽しむべきだと言う人は多い。ただ、それはあくまでも、土台やつくりが良いことが前提だ。

例えば、私が持っているアタッシュケースは合成皮革だ。おかげで、色あせもないし、雨に濡れてもシミにならない。汚れも一拭きだ。しかし、傷だけはどうしようもない。合成皮革だから傷がつくと、基材の布が見えてくる。つまり、底の浅さが見えるのだ。一方、私が長く使っている本皮のカバンはそろそろ、しわや汚れも目立ってきている。そして、どこかに引っ掛けてつけた傷も多いが、本皮なので多少の痛々しさはあるが、もともと基材などはないのでそれなりに魅力的でもある。

もちろん、モノを長持ちさせるには、素材が良いだけでなく、そのつくりの良さも必要で、その分、値段も高くなる。そして、案外と忘れがちなのが、維持していくための、知識、手間、そして費用が要ることだ。こうした、モノとの付き合いかたはデフレスパイラルの渦の中では、成り立たなくなっている。しかし、それで、良いのだろうか?

<岸田 能和>