脇道ナビ (32)  『遅れる時計』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第32回 『遅れる時計』

5 回の転職、6 回の引越し。そんな漂流者のような人生を送りながらも、今年は結婚して 30年になる。我が家の壁には、30年前に結婚のお祝いにいただいた時計がかかっている。それは直径が 15 センチくらいの小ぶりなサイズで、黒いボディーに、白くて細い線で描かれた大きな数字が印刷されているシンプルなデザインである。当時、銀座のデパートでグッドデザインを集めた売り場にあったものを「これが良い」と指定してお祝いとしていただいたものである。

そのデザインの時計は今でも売られていて、ロングセラー商品となっている。ただ、デザインは同じでも、私がお祝いにいただいた頃はクォーツ式ではなかった。そのため裏側を見ると、進みや遅れを調整する機構がついている。しかし、さすがに 25年経っていることや、台所に近いためか、機構部分に油が入り込んで、調整は効かなくなり、何度合わせても年じゅう遅れている。

それでも、その時計を引退させないのは、思い出の品物であり、デザインが気に入っているせいもある。しかし、それ以上に不正確な時計と付き合うのは、オモシロイし、大切だと思っているからだ。今どきは、安物の時計でもクォーツ式、いや電波式で秒単位の狂いさえない。テレビの画面やケータイでも正確な時刻が分かる。そのため、7時 43分に家を出れば、7時 56分の渋谷行きの急行に乗れる。そうすれば、8時 45分には会社に着き、8時 50分からのミーティングに・・・と無駄のない行動が可能となる。ただ、そんな正確な時刻に追われるような生活をどこか息苦しく感じることもある。そんなとき、10分だか、20分だかよく分からないが、遅れている時計を見るとホッとする。そして、その遅れを計算に入れ、早めに家を出て、途中にあるコーヒーショップでコーヒーを飲む、そんな余裕を持って動くことも大切だ。また、不正確な時計をあてにしていると、約束に遅れまいとする緊張感を持つのもオモシロイ。

時計メーカーも正確な時計を作ることばかり考えず、たまには、曜日によっては遅れる時計、突然止まる時計、午前はと午後では精度が違う時計、ときどき調整が必要な時計など、そんなおかしな時計を作ってみてはいかがだろうか?

<岸田 能和>