脇道ナビ (26)  『一気飲みの女王用湯のみ』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第26回 『一気飲みの女王用湯のみ』

薄っぺらな紙切れ一枚だと、重さなど分からない。しかし、そうした紙が数百枚、数千枚にもなると、「かさ」のわりに、重い。そのため、オフィスや部門の引越しともなると、たいへんなことになる。小さなダンボール箱でも、書類を詰めると、腰が抜けそうになるくらい重い。しばらく前に、そんな書類を詰め込んだダンボールの山を整理することがあった。さすがに、どのダンボールも重いので、腰を少し落として、「よいしょ!」と気合いを入れて動かしていた。何個か目のダンボール箱を持ち上げたとたん、後ろにもんどりうってしまった。そう、重いと思い込んで思い切って持ち上げたダンボール箱が空っぽだったからだ。

そんな思い込みの怖さはよくある話である。いかつい顔をしているのに、話してみると案外と内気で、やさしい人。速そうなデザインで、排気音などもスゴイが、いざ走らせてみると性能がさっぱりのクルマ、などなど。

そんな思いがあったから、 義母に「熱くならない湯のみ」という商品を買うのをためらっていた。この湯のみは、二重構造になっていて、中に入っているお茶などの熱が外側に伝わらないようになっているスグレモノである。しかし、買うのをためらっているのはとり上げた湯のみが熱くなければ、中身も熱くないと思い込んで、熱いお茶を飲んでやけどをしてしまうかも知れないと思ったからだ。特に、義母は「一気飲みの女王」なので、怖い話なのだ。

しかし、最近になって、私の考えていたことのオカシサに気がついた。妻が母親にお茶を出すときは、一気飲みをしたり、こぼしたりしても大丈夫なくらいの温度にさましてから出している。そんなことを考えずに「熱くならない湯のみ」が危険だと考えたのは、オカシナ話だ。もともと、どんな湯飲みにせよ、やけどをするくらいのお茶を一気飲みの女王に出すのが、間違っているのだ。
それを抜きに「熱くならない湯のみ」が危ないと考えたのは、言いがかりのようなものである。ある程度の温度にさましてから出すのが「心づかい」というものだ。先に挙げた書類のダンボールだって同じで、空っぽのダンボールは別のところへよけておくのが、整理する人の心づかいの基本だ。そうした心づかいを忘れて、道具や機械だけに頼っても、そこには限界がある。そうした基本的なところを道具や機械を使う人、作る人のそれぞれが、よくよく理解しておかないと、思い込みで失望したり、ひっくり返ったり、けがをしたりしてしまうだけだ。

<岸田 能和>