脇道ナビ (9)  『魔法のハナシ』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第9回 『魔法のハナシ』

子どもの頃に聞いた「魔法壜」という名前には何とも不思議な響きがあった。中をおっかなびっくりで覗いてみると、鏡のようになったガラスの中壜が覗き込んだ私を写し込み、キラキラと輝く魔法の世界を作り出していた。もちろん、一晩たっているにもかかわらず、寒い朝でも湯気のたつお湯が魔法壜から出てくるのは、子どもにとって、まさに魔法だった。

今では、希望の温度になるようにお湯を沸かし、沸いたことを音で知らせてくれ、カルキを飛ばし、ヒーターで一定温度を保ち、ボタンを押せば沸騰したお湯が出てくるベンリな電気ポットにとって代わられている。昔の魔法壜のように、やかんでお湯を沸かして移し替える手間も危険もない。時間がたつと、冷めていてがっかりすることもない。また、冷えた魔法壜に熱いお湯を入れて中壜を割るような失敗もない。これこそ、本物の魔法のようなハナシなのだが、子どもたちは当たり前だと思い込んでいる。彼らの周りには生まれたときから、パソコン、ケータイ、インターネットなど、魔法のようなものがたくさんある。
それらに比べると、電気ポットでお湯を沸かし、保温するくらいのことはたいしたハナシではないのだろう。

しかし、水を沸かし、冷めないようにするというのは、いずれも本当はたいへんなハナシである。それはキャンプなどをやってみるとカンタンに分かる。まず、集めた枯れ木に火を点けるだけでもたいへんなことだ。また、その火を絶やさないようにし、やかんでお湯を沸かし、一定の温度に保つのもカンタンではない。それが、今では、コンセントにつなぐだけですむのだから本当はすごいハナシだし、世界中にある電気もガスもない地域の人たちから見ると、魔法のようなハナシのはずだ。

私たちの生活は先人の知恵、多くの技術、ガスや電気を安定して送り出す社会インフラが支えている。にも拘わらず、身近で、当たり前、普通だと思ってしまうと、生活を支えている裏側に関心が薄れてしまいがちだ。たまには、そうした魔法のような世界があることを考えてみるべきだ。また、そうした魔法の世界があることを子どもたちにキチンと教えておいてあげるのが大人の責任だ。当たり前だと思っていると、身近な生活を工夫しようとしたり、さらに良くしようとか、オモシロクしようと思うはずはないのだから。

<岸田 能和>