「軌跡と構造」-クルマ社会の複合図-(5)「ディーラーシップへのこだわり」

いすゞ自動車にて国内マーケティング戦略立案等を経験したのち、現在は住商アビーム自動車総研のアドバイザーとしても活躍する中小企業診断士、小林亮輔がユーザー、流通業者、製造業者という立場の異なる三者の視点に日米欧という地理的・文化的な視点と時間軸の視点を加えつつ、クルマ社会の構造の変遷とその将来を論じていくコーナーです。

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第5回「ディーラーシップへのこだわり」

新年明けましておめでとうございます。
昨年に引き続き「軌跡と構造」を執筆してまいります。
本年もよろしくお願い申し上げます。

【ディーラーシップ】

「いすゞのディーラーシップはどうなっていますか?」
1986年、市場分析テクニックの研修のため、デトロイトにある GM のテクニカルセンターに通うことになりました。研修の初日、同センターの所長が何気なく私にこう聞いたのです。何と答えればよいか、一瞬、戸惑いました。アルフレッド・ P ・スローンによって統合された GM のチャネル別販売体制のことが頭の中をよぎったからです。いすゞ自動車の乗用車の販売体制は販売車種も少なく脆弱であり、GM のそれと比べるべくもなく、しばらく考えてから店舗数と従業員数について答えたことを覚えています。

【GMの自信とこだわり】

マーケティングの研修生に所長が「ディーラーシップ」について聞くのは当然です。しかし、日常会話の中でこのようなやりとりが行われるあたりにGMの「ディーラーシップ」に対する強いこだわりを感じました。北米において自動車販売を語るには「ディーラーシップ」(dealership、販売権、販売代理店)についての論点が欠かせません。

マーケティングのコンセプトは「生産志向」から「販売志向」、さらに「顧客志向」へと変遷してきたと言われます。GM は「販売志向」の時代に成し遂げた偉大な変革によって、業界における圧倒的な競争優位を築くことに成功しました。その歴史を背景に「ディーラーシップ」に対する強い自信とこだわりがGM の中に育まれていきました。

【GMの創業者デュラント】

GM の旧本社ビルの正面玄関にはアルファベットの「D」の文字が刻まれたプレートがありました(現在の GM本社ではどうなのでしょうか)。それは GM の創業者ビリー・デュラント(William Crapo Durant)の業績を称えた記念プレートでした。1908年、デュラントは自動車の製造・販売に関するホールディングカンパニーを設立。1910年までにオールズモビル、ビュイック、キャデラック(ヘンリー・フォードらが設立した旧デトロイト・モーター社)を含む 17 社を買収、1918年にはシボレーも傘下に収め、GMの基盤を築いていきました。

【スローン改革】

第一次世界大戦直後、業績の低迷によりデュラントが経営の第一線から退き、スローンが業務担当副社長に就任しました。事業統合によって抱え込んだ多数の車種が必要以上に重複していることに気づいたスローンは、まず、車種を 5種類に絞り込み、その価格帯を分ける「スローン改革」を進めました。

スローンは、さらに GM に事業部制を導入して分権化を図り、それぞれの事業部に異なる社会経済的階層を受け持たせました。この点については、GM と 1940年代から深い関係を持ち続けた P ・ F ・ドラッカーが詳細に述べています。スローンは、人種、社会的地位、所得等によって細分化された階層別にディーラー網を組織し、それぞれのブランド・イメージを強調する一方で、各製品の魅力を高めることによって高級ブランドに移行させる方針が功を奏し、GMは 1955年までにアメリカ市場の 57 %を占めるにいたりました。

【分裂症状に陥ったGM】

市場支配力が頂点に達したとき、GM は反トラスト法に抵触することを恐れ、劇的な方針転換を図ります。まったく同じ車を異なるブランドで販売する「バッジ・エンジニアリング」という発想で売上を伸ばそうと考えました。

シボレーのラインナップに高級車が加わる一方、ビュイックやオールズモビルでは廉価車が販売されるようになりました。この方針転換によってしばらくの間は売上・利益率ともに安定的に伸ばすことができましたが、その代償として「スローン改革」で築き上げられたブランドの個性は次第に失われ、GM に分裂症状が表われはじめました。

【イノベーションのジレンマ】

ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセンは、すぐれた経営者のもとで健全な決定をしたにもかかわらず大手企業が失敗への道を歩む理由を著作「イノベーションのジレンマ」の中で解き明かしています。「破壊的なイノベーション」によって業界をリードしてきた企業ほど市場の変化や技術の変化に直面したとき、その地位を守ることができずに凋落していくという実証研究です。

「イノベーション」とは「技術革新」を意味しています。「技術」という日本語の語感から受ける印象では製品開発や製造に関する技術のみがイノベーションの対象であると誤解されがちです。このことについては、経済学者シュンペーターが「生産物」「生産方法」ばかりではなく、「組織」や「市場」、「買い付け先」を対象とした「新しい結合」を含めて「イノベーション」と呼んでいます。

また、クリステンセンも「この技術の概念は、エンジニアリングと製造にとどまらず、マーケティング、投資、マネジメントなどのプロセスを包括するものである。『イノベーション』とは、これらの技術の変化を意味する」と述べ、イノベーションが幅広い領域を対象としていることを示しています。

【偉大なイノベーション】

GM の関係者ばかりでなくデトロイトに本拠を置く自動車各社の経営陣が「スローン改革」の根底にある社会経済的市場分類を一つの信条として育ってきました。「スローン改革」は組織の「新結合」を基点とした産業全体の変革であり、偉大な「破壊的イノベーション」とはいえないでしょうか。

「スローン改革」を「イノベーション」と呼ぶことには異論もあり、実証するのは難しいかもしれません。しかし、偉大な「イノベーション」であるが故に、GM は「スローン改革」、スローンの歴史的成功を払拭することができなかった。まさに GM は「イノベーションのジレンマ」に陥っていたと言えるのではないでしょうか。

私が学んだテクニカルセンターの研究者たちからこんな不平を聞いたことがあります。「市場の変化にも組織的問題点にも私たちは早い時点から気づいていた。何度もこのことに言及しているが、本社は対応しようとしない」と苛立ちぎみに語ってくれたのでした。スローン以後の GM の歴代経営者たちは彼ら研究者の助言を単なる研究報告として扱い、課題化することはなかったのです。

【幸か不幸か日本は】

「雉も鳴かずば撃たれまい」「出る釘は打たれる」と言われ、日本では、古来、とびぬけて目立つことや際立った変化を嫌います。そのためなのか、あるいはエンジニアリングと製造に関する技術革新のみが「イノベーション」だと決め込んでいるためなのかは分かりませんが、日本の自動車産業は、もっぱら「持続的なイノベーション」の積み重ねによって力をつけてきました。

幸か不幸か、日本の自動車産業は、これまで「スローン改革」に匹敵するような組織やマーケティングまで巻き込んだ「破壊的なイノベーション」を体験することがなかったのです。それ故、日本の自動車産業・自動車メーカーは、当面、「イノベーションのジレンマ」に陥る心配はないと考えられます。

しかし、慢心は許されません。確かに「持続的なイノベーション」は日本の自動車産業の強さの根源であり、大切にし続けていかなければなりません。その一方で「破壊的なイノベーション」を生み出す、あるいは受け入れていく必要があります。この点についての対応を誤れば、日本以外の世界のどこかで起こった「破壊的なイノベーション」が津波のように押し寄せ、日本の自動車産業を跡形もなく押し流してしまうかもしれません。

次回は「国境を越える」と題してグローバリゼーションの進展、EU 統合などが自動車産業に与える影響について論じます。

(参考文献)
Laurence・R・Gaston著「Billy Durant」W.M.BEERDMANS PUBLISHING
日刊自動車新聞社・日本自動車会議所共編「自動車年鑑2006-2007年版」
P・F・ドラッカー著「未来企業」ダイヤモンド社
クレイトン・クリステンセン「イノベーションのジレンマ」(ハーバード・
ビジネス・スクール・プレス)翔泳社
Jack・Trout「Schizophrenia at GM」Harvard Business Review Sep.2005

<プロフィール>
中小企業診断士。住商アビーム自動車総合研究所アドバイザー。早稲田大学商学部卒。いすゞ自動車で営業企画、マーケティング戦略立案等に従事。GMTechnical Centerに留学、各種分析手法を導入。

<小林  亮輔>