AYAの徒然草(76)  『芸術の秋、運動の秋に、『無心になる時間』を楽しんでみませんか?』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第76回 『芸術の秋、運動の秋に、『無心になる時間』を楽しんでみませんか?』

最近寒くなってきたせいか、毎朝早起きをして通勤前にやっていたウォーキングにサボり癖がついてしまいました。でも、その代わりに週末に「水泳」をやるようになりました。水泳だとスポーツジムに通う手間がありますが、ジムはいくら外が寒くても快適な温度の中、思う存分運動ができるから良いのです。
その上、水泳をすると全身運動になるし、それにあの浮遊感がたまらなく気持ち良いので、私は元々水泳が好きなんです。しかし、最近また水泳を始めた理由は、このほかにもあるんです。水の中では、外の音が一切聞こえませんし、泳いでいる時は誰とも会話をせず一人ぼっちです。そこが好きなのです。また、水の音ってとても癒されるんです。つまり、泳いでいる最中は、一人の時間となり、必然的に「無心になれる」上に癒されるのです。なにも考えずひたすら自分のペースで泳ぐことが、私の頭の中を「空白にする」、というか全てをリセットしてくれるような気がするんです。私は、500 mを一気に泳ぎ、これを 2本やります。合計 1km 泳ぐわけです。
泳いでいる間は、なにも考えません。途中、「ちょっと疲れてきたな」とか「息が続かなくなってきた」といった、体で感じたことが頭を過ぎるだけです。
でも、ウォーキングのときは、外を歩き目や耳からいろんな情報が入ってくるせいか、私はこんなことを考えながら歩いていました。「これが終わったら朝ごはんになにを食べようかな~?」とか、「昨日は私の周りではなにが起きたっけなぁ?昨日の私の出来事ベスト 3!」なんてものを勝手にランク付けしてみたり、はたまた「今日は会社でなにをしなくちゃいけないんだったっけなぁ?」と今日の仕事のことを考えてみたり。ウォーキングの時間を運動する目的以外に、こうやって「なにかを考える時間」にも当てていたんです。でも、水泳はその逆です。「なにも考えず自分の心を無にする時間」なのです。
さて、それではなぜ私が「心を無にする時間」が好きになったのか。それは、最近、自分がほんの些細なことでもなにかの決断を下すとき、いろんな情報に翻弄されていることに気づいたことがきっかけです。一概にそれが悪いとは思いませんが、たまには、「自分が本当はどう思っているのか」、「自分の行動の源になっている気持ちはなんなのか」といった「自分の素直な心の叫び声」に耳を澄まして聞いてみる時間があってもいいんじゃないのかなぁと思ったのです。

世の中にはいろんな情報が溢れていますよね。テレビや新聞、インターネット、本や雑誌、それに、自分の周りにいる友達や同僚や家族までも含め、様々なことが全て「情報源」といえます。そんな周りの情報を参考にしているうちに、知らず知らずのうちに当然のようにそれらを考えるときの材料にし、決断を下していると思うんです。

たとえば、お洋服ひとつ買うときですらそうです。周囲の情報を一切遮断して、自分が本当に欲しいものを買う人って少ないんじゃないでしょうか?テレビやファッション雑誌などで話題になっているものや街で流行っているものなどを多少なりとも気にしながら買っていませんか?どうせ買うなら流行遅れのものを買うよりも良いかなぁと思いますよね。
また、このようなことが自分に起きたらどうでしょうか?たとえば、私が、全くつながりのない 3 人の男性から同時に交際を申し込まれたとします。(そんなことはあり得ませんが、あくまでたとえ話です。念のため。)
一人目は地位も名誉もあり経済力もある男性、二人目は背が高くスラッとしていて顔も美形でルックスに申し分のない男性、三人目は経済力は無し、ルックスも NG、だけど心が温かく人間味のある男性だとします。
私としては、三人目の男性が一番気が合い、素直に一番ステキだなぁと思ったとします。でも、信頼できる友達に相談したら、「経済力の無い人と付き合ったら、将来は考えられないと思うし、苦労が多いと思うよ」とか「どうせ一緒にいるなら、カッコ悪いよりもカッコ良い男性といた方が自慢できるし、目の保養にもなると思うよ」といった情報を得たとします。私はそういう周りの意見に過敏に反応して選んでしまいそうなんです。

「苦労が多い」「カッコ良い方が自慢できる」といった言葉に過剰反応をしてしまいそうなのです。心のどこかではそう思っていない自分がいても、「みんながそう思うなら」という基準が形成され、判断材料に加えられてしまうような気がします。つまり、「一般論」「これが常識」「これが普通」といった外部の情報によって自分の本当の気持ちが埋もれてしまうのです。そうやって、結局私は、気が合うと思った三人目の男性ではなく、一人目か二人目の男性を選んでしまいそうな予感がするのです。
こんなことを妄想しているうちに、自分の周囲の人の意見や常識・世間体といった全ての外部情報から自分をシャットアウトして、自分の素直な気持ちと向き合うための時間も必要かもしれないなぁと思ったのです。そうしないと、日常生活で「あの人ステキだなぁ」と感じた人がいたとしても、そういった外部情報が知らず知らずのうちに植え付けられているために自分で自分の素直な感情に気づかず、良いことがあっても通り過ぎてしまっているかもしれないと思ったのです。

だから、定期的に余計な汚れ(外部情報)を落とすためにも「心のお洗濯」をした方がいいかもしれません。何色にも染められていない真っ白な自分に時々戻すことも大事なのです。

私にとっては水泳をしているときが自分の心を真っ白にできる時間ですが、きっとそれは人それぞれ違うと思います。先日、初めて陶芸にチャレンジしてみたんですが、ろくろを回して指に神経を集中させている時間も無心になれるような気がしました。絵を描いている時間が無心になれるという方もいるだろうし、音楽を聴いて目を瞑っている時間が心を真っ白にできるという方もいると思います。

秋は芸術も運動も楽しめるシーズンです。そんな芸術の秋、運動の秋を「心を豊かにする」ためではなく、逆に、心を空っぽにして「無心になる」という視点で楽しんでみてもいいのかなぁと思います。そうすると、日頃、多くの情報に埋もれて見えなくなっている自分の本当の心の叫び声が聞こえてくるような気がするからです。まるで、自分の素直な気持ちが落ち葉の陰に埋もれながら「ここにいるよ」と叫んでいるかのように。

<佐藤 彩子>