AYAの徒然草(51)  『同じ「1番」なのに違うこと』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第51回 『同じ「1番」なのに違うこと』

先日、甲府に住んでいる友達と一緒に山梨の温泉に行ったんです。そこは、露天風呂から富士山の雄姿が真正面に望めるので、富士山を独り占め(二人占め?)した気分になってしまいました。温泉に浸りながら優越感にも浸れる素晴らしい温泉だったのです。その日は特にお天気も良かったので、本当に清々しい気分になりました。

富士山を眺めながら露天風呂に浸かっていると、気持ちよくてついつい時間を忘れて長風呂になってしまいます。「そろそろ上がらないとのぼせちゃうよぉ」と友達に言い出そうと思った瞬間、彼女の方から「日本一の富士山はやっぱり美しいよね~。見ているとついつい長風呂になっちゃうね。」と、仲の良さを物語るかのようなタイミングにはっとさせられました。

彼女の言う通り、「富士山」と言えば日本一。言わずと知れた日本最高峰の山ですよね。日本の象徴でもあります。「富士」という言葉を社名に使ったり、各地には「富士」と付く地名もたくさんあります。その他多くの名称にも「富士」という言葉は使われていますよね。

さて、富士山は日本一高い山ですが、では、2 番目は?と聞かれると意外と答えられないものです。1 番以外はなかなか認知してもらえないのです。ということを、以前私はコラムの中でお話ししたことがあります。

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1 番と 2 番の差って、それほど大きいんですよね。でも、同じ「1 番同士」でも、大きな差があることもあるなぁと、ふと思ったのです。そうだとしたら、それはなんでだろう???と、露天風呂に浸かりながらちょっと考えてみたんです。

富士山は、確かに美しいです。地質学上、火山の種類によって稜線に変化があるそうなのですが、富士山の稜線はとても美しいですよね。まるで型を取って作ったかのように整っていて美しいです。また、美しいばかりでなく、天と地をつなぐような神秘的な優美さもありますよね。

では、同じ「日本一」を誇る「琵琶湖」はどうでしょうか?琵琶湖もとても美しく神秘的です。その神秘さと静寂さが一体となり、幻の生き物(ネッシー?)が水中に潜んでいそうな気がしてくるくらいです。琵琶湖も富士山と同様、数字的には日本一です。でも、琵琶湖は「日本の象徴」でしょうか?誰もが「日本」と言えば「琵琶湖」と答えるでしょうか?「富士」と同じように「琵琶」は多くの社名や地名などに使われているでしょうか???というようなことを考えていると、富士山も琵琶湖もどちらも日本一だしどちらも美しいのに、なにか違いがあるような気がしてきませんか?

以前、同僚から「彩さん、動物の『サイ』の絵を描いてみて。」と言われてサイの絵を描いたんです。「サイって確か角があったよな。牙はあったっけなぁ?耳は立ってたっけ?足はもちろん 4本だし、尻尾はどうなってたっけ???」なんて考えながら描き、完成品を見せたら、私の同僚たちはお腹を抱えて大笑いしたんですよ。人の絵を見て笑い転げるなんて失礼だと思いませんか?次に、「じゃ、今度は『ダチョウ』の絵を描いてみて。」と言われたので、同様に、「『ガチョウ』じゃなくて『ダチョウ』だよね。確かダチョウは足が長いんだったよね。口ばしはどうなってたっけ???長かったっけ?短かったっけ?羽の部分はどうなってたっけなぁ???」と、これもまたあやふやな記憶をたどりながら描いて見せたら、またまた失礼なことに笑い転げているんです。悔しいから、サイの絵もダチョウの絵も、「将来、もし私が有名人になったら、価値が出るかもよ!」と言いながら、特別にサインをして渡したんです。心の中では、「あんなに笑って、彼らには私の絵心がわからないんだわ。ほんとに美的センスないんだから!!」と思いつつも、「確かにこれじゃぁ笑うよね。だって、描いた私にすらこれがなんの動物に見えるかわからないんだもん。」と、私自身も大爆笑でした。

ところで、「美的センス」の「美」とは、どういう概念なのでしょうか?「美」 の定義とはなんでしょうか?私は、「美」に定義なんてないと思っています。ある人が「それは美しい」と思えばそれは美しいものになるし、別の人が「それは美しくない」と思えばそれは美しくないものにもなりますよね。「美」は個人の主観によるものなのです。だから、「美」の定義を追求していくと哲学的な話になり難しくなってしまいそうです。しかし、もし、私が「美」を定義するとしたら、私は「情緒的に人の心に響くもの」と定義します。となると、私のサイとダチョウの絵は、人を笑わせて楽しい気分にさせているのだから「美」と言えるんじゃないのかなぁと思うのです。では、もし、「美」 を「視覚的に快く感じるもの」と定義したならば私の絵はどうでしょう?「美」とは言えないかもしれません。だって、「なんじゃこれ???」と思うような絵ですもの、視覚的に快いとは決して言えませんよね。

さきほどの「富士山」と「琵琶湖」の話もこれに似ていると思うのです。同じ日本一なのに違いがあるのは、きっとそれぞれが醸し出している「美」が違うんですよね。「美」には定義がないので、どちらが美しいか美しくないか、ということではないのです。これをビジネス的に言うと、「ブランド力が違う」ということなんだと思います。つまり、姿そのものや名称からイメージされることが、どちらがより情緒的に人の心に訴えるものが大きいか、また、ビジュアル的にどちらがよりシンボル的な発信力が強いか、価値があるか、という違いだけだと思うのです。そういう点で富士山の方が勝っていただけで、決して琵琶湖が美しくないということではないんですよね。

さらに言うと、私は、「美」や「ブランド力」は、絵じゃなくて「文章(文字)」でも表現できると思うのです。だから、このコラムで読者のみなさんの心に響く文章を書き、個性的な「美」で人の心を惹きつけられたらいいなぁと思っています。そして、このコラムを通じてみなさんと揺るぎない絆を構築できるようになれたら、それは私の本望です。

ということを、手の平と指の先がおばあちゃんの手のようにシワシワになるまで富士山を見ながら露天風呂に浸かって考えてしまいました。日本一の富士山を見ながら考えたことですから、これは私の最高峰の想いなんです。

<佐藤 彩子>