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コラム

「殖産興業の触媒として生きる~退任のご挨拶に代えて」

【住商アビーム自動車総研が売っているもの】

「自動車業界にイノベーションの触媒を売っています」
顧客やメディアから「住商アビーム自動車総研とは何屋さんなのですか?」と尋ねられるたびに筆者はそう答えてきた。

 そうすると、必ず驚いたように「コンサルティング会社ではないのですか?」とも尋ねられるのだが、その都度筆者はこう答えてきた。「間違いではありませんが、正解でもありません」と。確かに私ども住商アビーム自動車総研は、自動車業界に固有の問題解決を提供する自動車業界専門の戦略コンサルティング会社であり、そのような定義のもとで体制を構築し、サービスを提供する会社が他にないことから、「自動車業界唯一の相談窓口」とも言われる。

 だが、コンサルティングというビジネスやサービスは、私たちが本当に作り出したいものを入れるための器であり、私たちが最終的に到達したいゴールに辿りつくために自分たちにも実行可能なアクションプランに過ぎない。私たちが本当に作り出したいもの、到達したいゴールとは、自動車業界にイノベーションを引き起こすことであり、その触媒となるためにコンサルティングという器やアクションプランを作り、「業界唯一の相談窓口」というポジショニングを活用しているのである。

 このことは、「人々の夢の原動力」となること(Drive Your Dreams)を目標にしているトヨタが、プリウスという商品やレクサスというブランドを作り出し、世界最高の品質や世界で初めて環境の商品化に成功した自動車メーカーというポジションを活用して目標の達成率を高めていることと、(生意気に聞こえたら申し訳ないが)同根だと考えている。
 繰り返しになるが、私たちが本当に作り出したいものは「自動車業界のイノベーション」であり、私たちの到達目標は「その触媒の役割を果たすこと」にあるのである。

【自動車から始める日本のイノベーション】

 なぜそこまで「自動車業界のイノベーション」に拘るかを述べる前に、私たちが言う「イノベーション」とは何かを明確にしなければならない。単なる技術革新や新技術の導入のことではなく、20 世紀前半の経済・社会学者シュンペーターが言うようにそれは「経済発展の本質」としての「新陳代謝」のことであり、「新しい生産システムや販売システムの導入」や、「新しい経営資源の調
達先や製品の販路の開拓」、「独占的な市場ポジションの形成や打破」などを含む「新結合の遂行による創造的破壊」という広い概念である。
 ここでいう「新陳代謝」や「新結合」を、現代的な意味に置き換えれば、前者は「異業種からの新規参入や既存事業者の再編」、後者は「異業種間のアライアンスやコラボレーション」だと言っても過言ではない。

 では、なぜ自動車業界に「新陳代謝」や「新結合」などの「イノベーション」が求められるのかと言えば、第一に「脱皮できない蛇は死ぬ」からであり、第二に自動車は今や「日本の産業経済のプラットフォーム」になっているからである。

 企業も産業も成長や成功体験を積み重ねていくと大型化と専門化を余儀なくされる。世界シェアでトップの企業を有し、世界で生産される自動車の 3台に1台以上が日本車となるほどに大型化した日本の自動車産業の力の源泉は品質と生産性における競争力である。その成功体験を一層確固としたものにするために日本の自動車産業は内部組織を細分化して専門化し、品質と生産性の面での競争力を更に高めようとする。
 正常な進化プロセスのように見えるが、内部組織の肥大化や官僚化によって、外部環境の変化に対する柔軟性や機動性を失っていると適応不全によって滅びることもある。気候変動に弱かったのは自然界の覇権を握っていた大型の恐竜だった。

 自動車産業 100年の歴史は製品アーキテクチャに大きな変更のない温暖期にあったからこそ同じルールの中で最も競争力が高いプレイヤーが勝利するゲームであったとも言えるが、ご承知の通り世界的な環境・エネルギー事情や、国家間のパワーバランスや国内の人口動態の変化は製品アーキテクチャに大転換を迫っている。少なくともピーター・ドラッカー(2年前に亡くなった経営学者)が指摘した「イノベーションのための 7 つの機会」のうち「人口構造の変化」や「認識の変化」などいくつかの機会は顕在化しており、いつ恐竜に代わって覇権を握るプレイヤーが現れても不思議ではない状況が生まれている。

 日本の自動車産業が、過去の成長や成功の体験を相対化して、新たな規格や価値を自ら創り出す構想力のもとにイノベーションを起こさなければ、「脱皮できない蛇」、「氷河期の大型恐竜」に陥り、他の誰かに取って代わられるリスクがある。「他の誰か」はインド 3 千ドルカーかもしれないし、自動車以外の別の製品・サービスかもしれない。

 しかし、一人の日本人として、少なくとも当面の間、日本の自動車産業が「他の誰か」に取って代わられるリスクを放置しておくわけには行かない。寧ろ、「日本の産業経済のプラットフォーム」として当面は「日本のイノベーション」を引っ張って行ってもらわなければ困る。
 何しろ自動車は、主要製造業の研究開発費総額の 19 %、設備投資総額の 23%、輸出総額の 22 %を握る国内最大の影響力と世界最強の競争力を持つ産業である。最終的に日本全体にイノベーションを引き起こすことに目標を設定した場合に、どの産業から手を付けるべきかと考えると、効率と効果の両面からこれ程適した産業は他にない。

 「自動車産業のイノベーション」は、他産業のイノベーションに最も早く大きく波及し、最終的に「日本のイノベーション」に連鎖していく。私たちが「自動車産業のイノベーション」をゴールに設定する意味はそこにあり、私たちがゴールに到達すれば「日本のイノベーション」が実現すると考えるからである。だから、私たちの活動の標語は、「自動車産業のイノベーション」ではなく「自動車から始める日本のイノベーション」なのである。

 「自動車から始める日本のイノベーション」を実現するため、「自動車産業唯一の相談窓口」として、自動車産業の新陳代謝や、異業種との間のアライアンスやコラボレーションを媒介する触媒の役割を果たすこと、それが住商アビーム自動車総研の存在意義であり存在目的であると認識してきたのである。

【日本のイノベーションの意味】

 日本は 2005年をピークに人口減少時代に入った。同年の日本の総人口は1 億 2 千 7 百万人だったが、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば2030年には 1 億 1 千万人ちょっと、2050年には 9 千万人前後まで減少する。
 同時に少子高齢化が進行している。2005年時点で 84 百万人いた 15 歳~ 64歳までの現役世代は 2030年には 6 千万人台、2050年には 4 千万人台まで減少する。これに対して、2005年時点で 25 百万人しかいなかった 65 歳以上の高齢者は 2030年には約 37 百万人まで増加する。このことは、2005年時点では3.3 人の現役世代で 1 人の高齢者を扶養していればよかったのに対して、2030年には 1.8 人の現役世代で 1 人の高齢者を扶養する必要があり、2050年には1.2 人で 1 人を扶養する必要があることを意味する。

 総人口の減少は、日本人の所得の総和の減少(経済力の低下)を意味し、それは国際社会に対する日本のプレゼンスや発言力を低下させ、その結果としての資源(天然資源に限らず人材、資金、技術などの経営資源をも含む)の調達力の低下を通じて、一層の経済力の地盤沈下を引き起こす悪循環を招きかねない。

 エネルギーや食料の買い付けにおいて日本よりも高い価格や大きなボリュームを提示する国が現れる。小さな日本市場向けに高いコストをかけてソフトウェアや工業製品をローカライズしようという売り手側の動機付けが薄れる。ODAや国連分担金の負担能力の低下が外交面での発言力を低下させる。
 国内総生産に表される経済力の低下によって、世界の中で政治・経済主体としての日本の魅力が相対的に低下し、そのことが経済力の更なる地盤沈下を招くということであり、日本人の豊かさが加速度的に損なわれる恐れがある。

 少子高齢化は、日本人同士の間で構造的な所得や資産の分配の不均衡を招く。
日本人全体の実入り(国内総生産)が減る中で、限られたパイを増やすよりも減らす側の割合が拡大していくことになるからである。
 若年層になればなるほど、自身の貢献や成長との対比や他の世代との対比において報酬が不当に少ないという不満の種となり、行政システムに対する信頼や参画意欲の低下を招き、世界一の治安を誇る社会の安定や、行政システムの存続自体が危機に陥ることになる。こうした社会において次世代を生み育てることには希望が持てないだけではなく、罪悪感すら覚えるものになるから少子高齢化は一層進んで事態は一層悪化することになる。日本人の夢が奪われるこ
とになるのである。

 こうした状況を打破するためには、日本人一人一人の生産性や付加価値を飛躍的に高めて全体のパイを拡大し、一人一人の取り分を減らさないようにするしかないと考える。計算上は 2000年代前半の 7 倍のスピードで一人あたりの付加価値生産性を高めれば、日本人の豊かさや夢は損なわれない。
 とはいえ、今の日本人が昔の日本人に比べて能力が低いとか働いていないわけでは決してないから、個人の能力開発や精神論に依存する形で一人あたりの生産性や付加価値を高めようというアプローチは合理的ではない。やはりシステムとして企業や産業が「新陳代謝」や「新結合」を進めて明治維新以来 100年の衣を脱皮すること、その意味での「日本のイノベーション」が求められているというべきだろう。

【殖産興業の触媒】

 「殖産興業の触媒を売っています」-来月からはこう答えることにしようと思う。

 実は、2月 1日付で筆者は親会社である住友商事の経営企画部に籍を移すことになり、2003年 10月の創立以来 4年 4 ヶ月勤めてきた住商アビーム自動車総研代表の職を今月いっぱいで辞することとした。これまでシェアホルダーの一つとしてしか見てこなかった商社を、全てのステークホルダーの中心に置き、メカニックの一人としてそのコックピット周りの調整を行なう立場となる。

 既に述べた通り、日本全体にイノベーションを波及させていくために最も効率的で効果的な道筋が自動車業界におけるイノベーションであり、住商アビーム自動車総研はその触媒役を買って出なければならないという認識のもとに設立し、活動してきた。

 だが、歴史を振り返れば、産業横断的な「新陳代謝」や「新結合」の触媒役の原点は商社にあるとも考えられる。内外の物資や技術、資本を有機的に結合させて、家内制手工業的なものづくりを産業の水準に引き上げるとともに市場を創出して事業として成立させる、事業として成立したら当該事業の経営やリターンに固執することなく次の産業育成や市場創出にシフトしていく-。幕末から明治にかけて日本が欧米列強の侵食を免れ、日本人の豊かさと夢を実現していかなければいけないという時代背景のもとで商社が果たしてきた役割は正に「殖産興業の触媒」であったと思う。当時、商社が作り出し、引いていった新規事業は造船、海運、繊維、製紙、食品など枚挙に暇がない。

 商社=貿易事業者、卸売事業者と定義されることが多いが、これは国内に物資や市場が圧倒的に不足していた時代に「殖産興業の触媒」が果たすべき使命の一類型であったことに起因しており、昔も今も商社の本質は「殖産興業の触媒」にあると考える。

 2月からの業務において筆者が目指すのは、「殖産興業の触媒」という原点への回帰である。モノがあり余り、文字通り成熟した消費市場を有する今日の日本で「殖産興業」とは妙な話に聞こえるかもしれないが、今日的な意味において「殖産興業」とは「新陳代謝」と「新結合」を通じた「イノベーション」のことであると筆者は定義している。
 そう考えれば、これまでやってきたことと何ら変わりはなく、「自動車」というフィールドを取り払ったものに過ぎないのではないかと整理している。

【及ばざるは過ぎたるに優れるなり】

 退任にあたってこれまで本メールマガジンをご愛読いただいた読者の方々や、弊社のコンサルティングサービスをご愛顧いただいてきたクライアントの方々、その他弊社を温かく厳しくご指導、ご支援いただいた全ての関係者の方々に心からお礼申し上げたい。

 と同時に、筆者の後任である現副社長の長谷川博史および彼の指導の下に再出発する住商アビーム自動車総研に対してこれまで以上のご厚情をいただければ幸甚である。新しい住商アビームは(自惚れになって恐縮だが)熟練工を一人失うことになるからである。

 だが、先日トヨタの子会社でホイールサプライヤの中央精機を訪問した際に面白い格言を聞いた。「及ばざるは過ぎたるに優れるなり」トヨタグループに通じる三河精神を表す徳川家康の言葉だとのことである。一般的には「過ぎたるは及ばざるが如し」と言い、「不足もよくないが過剰もよくない。どちらも大差ない。」と理解されているが、三河では「やり過ぎるくらいなら寧ろやり残すくらいの方がましだ」ということになる。

 筆者にもやり残しが多々あり、心苦しさを禁じえないし、熟練工を失う新生住商アビームにはもしかしたら物足りなさを感じる局面もあるかもしれない。
しかし、「及ばざるは過ぎたるに優れるなり」である。ぜひ大らかな目で今後の住商アビームを見守っていただきたい。

2008年1月29日

㈱住商アビーム自動車総合研究所
代表取締役社長 加藤 真一

<加藤 真一>

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