円高と日本の自動車産業

◆円最高値 75円台

 19日のニューヨーク外国為替市場で円相場は一時 1 ドル=75 円 95 銭まで
 急伸し、3月 17日に付けた過去最高値(76 円 25 銭)を更新した。

                <2011年08月20日 日本経済新聞朝刊>

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 戦後最高水準の円高が続いている。

 第 1 四半期の決算発表時点でトヨタなどは想定為替レートを当初発表時点よ
り円高に修正した。しかし、現下の状況はその修正レートを大幅に上回るレベ
ルで推移している。

 住商アビームの試算では、対ドルで 1 円の円高による国内乗用車メーカー
8 社の営業損失額は合計で約 700 億円である。大まかではあるが、今期の想定
レートを一律 1 ドル=80 円とした場合、実質レートが 1 ドル=76 円となる
と 2800 億円の減益要因となる。現在の円高は各社の業績の足を大きく引っ張
りかねない状況にあるといえよう。

 しかもこの円高は長期化する、との見方もある。

・米国の超低金利政策の継続を受けた日米の金利差の動向や、

・国内のデフレ、海外主要国のインフレ懸念を反映した実質実効為替レート
 の動向、

・日本が経常黒字国であり対外純資産が世界最大であること、

などを鑑みるとそういった方向性もあり得るという。

 一方的な円高を放置しない政府の強い姿勢が望まれるが、もし、この円高が
長期化した場合、日本の自動車産業はこれをどう捉え、どう対応したら良いの
だろうか?
 
【日系自動車メーカーの世界総生産台数と輸出台数】

 日本経済新聞 8月 18日朝刊記事によると今年度の日系自動車メーカーの全世
界生産台数は 23 百万台弱という。その後、世界経済の減速懸念や国内自動車
増産のための部材不足が伝えられているが、世界総生産台数が 同記事が参照し
ている通り 80 百万台程度と仮定した場合、日系自動車メーカーの世界シェア
は凡そ 3 割にも上る。

  一方で、この時期の日系自動車メーカーの、日本からの輸出台数は 390 万
 台程度(国内生産台数予測は約 800 万台)と見込まれる。

 つまり円高の影響を直接受ける日本からの輸出車の比率は日系自動車メーカー
の全世界生産台数の 17 %に留まる。

 それでも各社が行き過ぎた円高を深刻に捉えるのは国内の雇用を維持できな
くなる側面が大きいからだと言えよう。

 生産効率を極めてきた自動車産業にあって、トヨタでは年間 300 万台、日産
では 100 万台の国内生産規模が現在の雇用を維持するのに最低限必要だという。
国内市場の縮小が懸念される厳しい状況下、日本での生産を維持するには今後
も国内生産の凡そ半分程度は輸出に回さなければならないということである。
 
【円高対策】

 既に各方面で提言されているが、この円高への対抗策として考えられるのは、

(1) 環境・安全対策を中心に製品の価値を高めていくこと、

(2) 部品の海外調達率や生産効率を高めて製造コストを抑制すること、

(3) 更なる海外投資を進め会社としての為替変動に対する耐性を強化すること、

の 3 点であろう。
 
【海外部品調達の注意点】

 2 つ目の海外部品調達については、特に外国籍の部品メーカーに新たに発注
する場合には注意を要するように思う。現在の円高水準は海外の部品メーカー
にとっては国内参入するのに大変なチャンスだ。魅力的な価格とチャンピオン・
サンプルで積極果敢に売り込んでくることもあろう。

 こういったケースでは海外の部品メーカーも最初の契約、試作、量産開始段
階では品質・納入ともに問題ないよう努力する。しかし、海外からの輸送はコ
ンテナ輸送で大量ロットとなる場合が多い。納入が継続していくと需要のばら
つき次第で在庫の山を築いてしまう可能性もある。

 また、不良品が出た場合の対応も心配である。金銭面や善後策で海外の部品
メーカーとの交渉に慣れていない日系メーカーでは、勢い自社で手直しするとこ
ろも出てこよう。そうなると先方はそれを標準とし、改善どころか次の不具合の
時も同様な対応を求めてくるケースがあると聞く。

 そうなるとコスト削減どころか工数が増え、逆にコスト高となる事態すら引
き起こしかねない。

 何よりも海外部品メーカーに転注された部品の製造ノウハウが国内では劣化
してしまう可能性が憂慮される。

 海外への転注に際しては、構成部品の仕分けを行い、海外部品メーカーへの
発注対象は汎用部品に絞り、分割発注とすること、中長期的に技術進捗がある
核となる領域は出来る限り日本に残すこと等注意されたい。
 
【中小部品メーカーの海外進出促進策】

 昨今、新興国を中心に工場団地や長屋構想といった形で中小の 2 次 3 次部
品メーカーの海外進出を支援する動きが活発化してきた。

 陰にはボランティアに等しい形でこういった活動を支えている自動車 OB の
話も耳にし頭が下がる思いだ。政府や自治体の支援を含め、そうした活動を更
に手厚くサポートし、長期的には海外進出した中小部品メーカーから調達する
ことで、前述した問題を解決していくことが求められるように思う。

 その際ポイントとなるのが技術伝承の問題である。そもそも中小の部品メー
カーが海外に進出するのに、外国語を含めて海外駐在する人材がいないのが実
態であり、最大の問題であろう。

 技術・技能の伝承は一朝一夕にできるものではない。ただ、以前に比べてそ
の手法がかなり体系化してきたのも事実である。 

・生産プロセスの明文化

・作業工程の属人性の排除

・安全性を重視した作業標準の作成

・専門家による熟練作業者のノウハウ(勘とコツ)のヒアリングと明文化

・ノウハウの検索システムの構築

・若手への作業機会の供与、等

 一例にはダイセル式など、各方面でその伝承手段が構築されつつある。

 最近の若者は国内に引きこもりがちというが、まだまだ海外で経験を積みた
いという若者も多い。中小の部品メーカーでは、企業グループや地域ぐるみで
言葉の出来る若者を採用し、本社にノウハウを蓄積しつつ若手への積極的な技
術の伝承を行い、海外進出に備えていくことを考えてみては如何だろう。

 雇用対策の意味でも業界を上げて考えて行くべき取り組みのように思う。
 
【海外投資の注意点】

 3 つ目の「海外投資」を拡大する場合、その収益が国内に戻ってこず、結果
国内経済が潤わない、裾野の広い国内自動車産業も勢いがなくなる、といった
事態が懸念される。

 他産業ではあるが、米アップル社の事例(2011年 8月 7日付 日本経済新聞朝
刊)が顕著である。同社の 4~ 6月期の連結純利益は 5700 億円と絶好調にも
関わらず、同社の本社が立地しているサンタクララ郡の失業率は全米平均より
悪いという。理由の一つは EMS 等を活用した海外頼みの生産体制という同社の
事業構造にあるとされる。

 アップル社が海外で稼いだ現金の 6 割は米国に送金されず海外に残っている
という。記事ではこういった状況はアップルだけでなく米国の IT 企業に共通
する問題としている。今後日本の自動車産業が海外投資を拡大した場合も同じ
状況になるのだろうか?
 
【海外投資と日本の自動車産業】

 このコラムでも度々触れてきたが、自動車と IT 機器とは製品のコアとなる
部分に大きな違いがあるように思う。

 IT 機器はその商品価値がソフトによって左右される部分が大きいが、自動車
は「走る」・「曲がる」・「止まる」のハードそのものに商品価値の重心があ
る。厳冬期から猛暑まで、凸凹道や滑りやすい道等あらゆる路面状況で、長年、
安全に、心地よく走り続ける自動車には多くの信頼すべき製造技術が投入され
続けなければならない。

 品質面で世界トップクラスにある国内の自動車メーカーが既に何十年も車を
作り続けているにも関わらず、国産車のリコール件数は現在でも毎年 200 件を
超える。(国土交通省 各年度リコール届出内容の分析結果より。) 自動車
とはそういう工業製品である。簡単に EMS のような形で製造委託できるもので
はないと思う。EV時代が到来したとしても自動車の厳しい使用環境に大きな変
化はないだろう。

 自動車産業はものづくりにおける技術革新と改善が尽きることのない産業と
言えるのではないか。

 日本が常に新たな製造技術の発信元である限り、海外で稼いだ現金の国内へ
の再投資は続くものと思う。

 この意味で、トヨタが 300 万台、日産が 100 万台の国内生産台数を何とし
てでも維持する、とのメッセージは、将来に亘って持続的(Sustainable)に自
動車産業の革新と拡大に日本発信で寄与していきたい、との力強い決意と受け
取りたい。

 円高対策は、新興国対策、災害時のリスク分散対策ともベクトルを同じくす
る部分が多い。新たな雇用を生み出しながら、再び世界で勢いのある自動車産
業として日本が存在感を確立する術を業界全体で探っていきたいものである。

<櫻木 徹>