アーキテクチャの変化で組織・人事戦略が変わる

◆設計者が流体解析できる環境を構築した富士重、吸気ポートの仕様検討時間半減

<Tech-On!2006年06月02日掲載記事>

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【富士重の開発した設計・解析一元化システム】

日経 Automotive Technology のウェブ・マガジン「Tech-On!」によると、スバル技術本部は、CAE プロセス管理ソフトを介して、三次元 CAD と解析用モデリングソフト、メッシュ生成ソフト、CFD (数値流体力学)解析ソフト、解析結果処理ソフトをシームレスに繋ぎ、エンジン設計者が自ら吸排気ポートと吸排気管および冷却水の定常流の解析までできるシステムを構築した。

設計者は CFD に関する専門知識や、個々のソフトの用途・関連性・操作方法に関する知識がなくても、メッシュ作成に必要なパラメータや出力の種類・条件だけを指定すれば、圧力損失やスワール比等解析結果から得られる性能指標をメールで取得できる。コンター図やベクトル図に精通していなくても CFD 面での設計品質のよしあしを自ら判断できるので、それに基づいて設計を手直しできることになる。一々、解析部隊に展開して戻ってくるまでのリードタイム・ロスを減らすことが出来るようになるし、その分解析部隊の工数を減らすことができるので開発工程全体のリードタイムや生産性が向上する。実際に吸気ポート形状の仕様検討に関わる時間は従来の半分に短縮される、とのことである。

【開発プロセスの課題との整合性】

自動車の開発プロセスを大きく「商品企画」、「製品開発」、「生産準備」の 3 つの工程に分けると、このうち顧客にありがたみを提供する工程は最初の「商品企画」のみである。この工程はじっくりと最後まで顧客の要求や社会的要求、最新の技術資産や競合他社との差別化要件をデザインや仕様書に盛り込んでほしいというのが顧客の願いである。
一方、真ん中の「製品開発」と最後の「生産準備」は内輪の準備工程であり、なしですむならなくてもいい、品質や性能の確保上どうしても必要というなら最短の時間とコストで終わらせてほしいと思うのが顧客の本音である。

つまり、顧客志向で考えた場合、設計、実験、試作、解析などのサブ工程から成る「製品開発」と、設備・工程開発、量産習熟などから成る「生産準備」の最大の経営課題は、リードタイムと工数の削減なのである。

「製品開発」の工程内では解析部分での技術向上と工数投入とにより実験や試作のリードタイムと工数およびコストの削減が進んでいる。設計も三次元 CAD導入以降大きく改善しているが、設計と解析の間での手戻りのリードタイム・ロスと、それに伴う解析工数の高止まりが問題である。

弊社アドバイザの一人で、関東自動車・関東シート出身の江口正芳技術士によれば、「設計が手戻りのないいい図面さえ描ければデザイン・フィックス後の製品開発プロセスの課題は全部解決する」という。

富士重のアプローチは手戻りのない図面を設計者に描かせるという意味で正に江口氏の方向性に合致している。

【理想と現実のギャップ】

設計者に CAD だけでなく CAT や CAE まで回させる、設計から実験、解析まで任せるという構想はデジタル・エンジニアリングが登場した頃から理想とされてきた方向性である。しかし、実際にはその理想は実現していない。
理由は二つあると考えられる。

一つは技術的理由である。
CAD と CAT、CAE を同時に搭載しようとするとコンピュータのキャパシティを越えてしまい処理に却って時間を要し、コンピュータを切り替えるとなるとコストが跳ね上がってしまう。また、CAD データはクリーニングやモデリング、メッシシングの前処理なしでは CAE のソルバで解析できず、それらの前処理には専用のソフトや人材が必要となるので設計者の手を離れざるを得ない。

二つ目の理由は組織的理由である。
日本の自動車産業では生産工程とその下流域(流通、小売まで)は、組織・人事的には複数工程を一人で受け持つ多能工化が進み、ものと情報の流れという面ではカンバンによる後工程引き取り方式が普及し、課題解決という意味ではアンドンによる問題の「見える化」による即時抜本的解決を行うことが一般的である。

ところが、生産工程より前の上流工程、つまり商品企画と製品開発のプロセスでは正反対の状況になっていることが多い。

第一に、組織・人事面では、設計は設計、解析は解析と組織と、人事は専門化・細分化され、多能工化と逆のことが起きている。

第二に、ものと情報の流れは上流から下流に流れていく。下流から上流に複流することはあってもそれは流し直しに過ぎず、逆流するわけではない。(工場の作業性や市場クレームに基づくランニング・チェンジは別として。)

第三に、第一、第二の要因の結果として、問題の発見は下流の別組織・別人によって行われ、上流工程自身が即時抜本的解決を行なったりする仕組みになっていないことが多い。

つまり、設計者が自ら実験や解析まで手がけることができる組織的条件が整っていなかったのである。

もっとも、これらは決して自動車メーカーの怠慢ではなく、構造上避けられない問題であった。前者の技術的理由はもとより、後者の組織的理由も中下流域と異なり上流域では自動車産業に対する社会的要求として高度な専門性が要求されているし、常識的に考えて生産工程の指示に基づいて製品開発や商品企画が実行されるというフローはありえない。
それでも少しでも中下流域のロジックに近づけるべく上流域で実施されてきたことが、同時並行処理(コンカレント・エンジニアリング)であり、問題の先出し(フロント・ローディング)であったといえる。

つまり、下流から上流への逆流ができないなら、せめて出来たところから下流に送る処理をいくつも積み重ね、繰り返す。また、大部屋に複数工程の人間を集め、それぞれの専門知識や経験に基づいて予知した問題を共有することで、上流工程に解決策を反映させる。

そうすることで、リードタイムと工数の削減を図ってきたのである。

【道州制移行との関係性】

富士重のシステムでは、設計者が全面的に解析機能まで請け負って専門の解析部隊が不要になるところまでは行っていないはずである。今回の解析領域を見ても給排気系の一部を一定範囲・一定条件で簡易に解析することはできても、自動車を構成する 2 万点の全部品を、NVH ・衝突・剛性等まですべて解析するものではないし、条件の制約なく解析できるとは言っていない。難易度が比較的低い部分での成果であり、効果はリードタイムと工数の部分的削減にとどまると考えられる。

だが、だからといってこの成果を軽視すべきではないと考える。これは、3 週間前に本誌で筆者が述べた「道州制」への移行を促す材料のひとつと見ることもできるからだ。

詳しくは以下 URL を参照願いたいが、筆者の見解はこうである。
「ECU統合と道州制」

「自動車産業は長らく霞ヶ関の意思決定と予算に基づいて 47 都道府県が執行する中央集権制と同様の組織戦略を採ってきた。だが、内外の環境変化によりこの体制を維持するためのコストやリソースの高さから、自動車メーカーが重視するいくつかのテーマのみを中央に残すとともに、それらのテーマを軸にした組織に社内外とも作り変え、大括りにした下部組織に権限と責任を委譲する道州制への移行が進む予兆が出てきた。だが、行政面での道州制と同様に自動車産業の道州制にも課題があり、その解決の巧拙やスピードの競争になる。」

そこでは主に自動車メーカーとサプライヤとの関係性の変化に注目したが、富士重のシステムが今後発展していけば自動車メーカー内部の業務プロセスや組織・人事制度にも大きな変化を生じ、それが道州制移行のための基礎条件を準備する可能性がある。

道州制のサンプルとしたトヨタの ECU 統合においては、中央政府たる自動車メーカーの制御(監督)の範囲と軸をパワートレイン、ボディ、マルチメディア、安全の 4 つに絞り込むとともに括り直して、制御領域における具体的な進め方や、非制御領域の業務の大半を、権限と責任が拡大した地方政府たるスーパーティア 1 サプライヤに委任していくのではないかと考える。

そのためには自動車メーカー自身の業務プロセスや組織・人事がそれに対応し、制御・監督機能を発揮していかなければならない。ところが、現実は上述の通り、自動車メーカーの上流域は制御・監督の軸や領域とは異なる形で組織・人事を設計し、運用も対応していない。

もし、富士重のシステムが発展していけば、上流域のエンジニアは設計から解析まで多能工化し、自ら課題解決能力を持った自己完結のサイクルに変わるから前工程押し込みも後工程引き取りも関係なくなる。

コンピュータの技術的制約と組織・人事面で高い専門性が要求される壁は残るから、一人のエンジニアがエンジン全体の開発に責任を持つということはありえないが、自動車メーカーにとっての重要課題別にエンジンを細分化し、各々に一元的な課題解決能力を持つエンジニアを当てるという人事が可能になる。

そしてそれらスーパーエンジニアを束ねたものが課題別組織になり、その課題別組織がリードする形でスーパーティア 1 に業務委託すると道州制になる。

その成果は、上流域におけるリードタイムと工数の抜本的削減となって現れ、競争力を強化することになるだろう。

【アーキテクチャの変化と組織・人事戦略】

自動車産業の最近の動向において、設計の思想やプロセスに関する動きは組織・人事戦略の角度から眺め直してみる必要がある。

そもそも日本の自動車産業が今日の競争力を獲得した背後には、統合的ですり合わせ型の自動車のアーキテクチャ(設計思想・プロセス)が日本の組織づくり・人事慣習とフィットしたものであったことと、アーキテクチャの変化が過去 100年間殆どなかったためにヒトと組織に依存した絶え間ないカイゼンが最大の武器になったと言われる。

ということは、アーキテクチャに変化が起きつつあるとしたら、その変化に対応した組織・人事戦略の革新に成功する企業と失敗する企業との間には競争力にギャップが生じ、勢力図に変化が起きる可能性を十分に秘めている。

設計思想・プロセスの変更が、組織・人事戦略であり、競争戦略であり、経営戦略そのものであるとする理由はそこにある。

<加藤 真一>