マイクロソフトが自動車のITビジネスに熱い視線

◆「Microsoft eyes auto IT business」
(マイクロソフトが自動車のITビジネスに熱い視線)
<2005年3月21日付Automotive News掲載記事>

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【イノベーションの必要性】

先々週の本誌 vol.54 【デルファイで起きていること】

にて、筆者は日本の社会構造変化を踏まえて、日本の産業界が一人頭の付加価値、生産性の抜本的革新(イノベーション)を行なう必要があることと、それを自動車業界がリードすべき立場にあることを主張した。また、そうした取り組みを自らできる範囲でできるところから始めるということで、イノベーションの「志」と「とんがり」のある自動車関連ベンチャー企業を支援するフレームワークを構築することを宣言した。

とはいえコンセプトはともかく実際には自動車産業・市場のどんなところで、どのような方法でイノベーションに取り組んでいくのか分かりにくい点が多いと思われる。

今回は、米マイクロソフトの自動車産業進出の取り組みからそのヒントを抽出してみることとしたい。なぜ、マイクロソフトかといえば、世界的に過去 10年間の生産性向上に最も貢献した要因が IT の導入であり、同社はそこで成功して世界最大手となった元ベンチャー企業であり、しかも自動車業界への参入は今後の課題だからである。

【マイクロソフトの関心と戦略】

2005年 3月 21日付 Automotive News に基づいて解釈すると、マイクロソフト社が関心を示している自動車関連の IT 領域は次の 3 つである。

(1)自動車メーカーのシステム開発とアウトソーシング(運用・保守)事業
(2)ディーラー・マネジメント・システム(DMS)のソフトウェア開発事業
(3)テレマティクス関連システムのオペレーティング・ソフト(OS)開発事業

第一の自動車メーカーのシステム開発・アウトソーシング事業とは、来年旧子会社である EDS との契約が満期を迎える GM に対して、EDS の後継を決める入札に名乗りを上げようというものである。

マイクロソフトが EDS に取って代わったからといって、GM や自動車業界にイノベーションがもたらされるとは期待しにくい。おそらく GM にとっての最大の関心はコストダウンであろうし、マイクロソフトにとっても直接的な魅力は150 億ドル(約 1.5 兆円)といわれる GM アカウントの大きさであろう。

だが、マイクロソフトの狙いはもちろんそれだけではあるまい。また、システムのアウトソース事業は同社が本来志向している分野でもないと思われる。ではなぜか。

企業のシステム部門とは、経営企画部と並んで、企業の経営課題や戦略、オペレーションに関する情報が集中して入ってくる部門である。そこを押さえることによって、自動車という製品や業界の特性を把握し、悲願である自動車用のOS を開発し、PC 世界におけるのと同様のプラットフォーム覇権を握ろうという意図があると考えられる。

第二の DMS 市場とは、米国ではほぼ全てのディーラーが導入しているディーラー特化型 ERP (Enterprise Resource Planning)ソフトウェアの市場で、ADP Dealer Services Group (ADP)と Reynolds and Reynolds (R&R)の二大巨頭が市場の 80% を二分する成熟した寡占市場である。

魅力は何かといえば、この種のソフトは通常 5年リースで導入され、その期間の収益が安定していることに加えて、ディーラー経営に関する全ての情報を統合的に管理するソフトという性格ゆえに他のソフトへの切り替えに抵抗が生まれ、結果として満期後も継続して使われることが圧倒的に多いことである。

米国では一店舗あたり平均月額 6~ 8 千ドル(約 60~ 80 万円)を DMS 関連のハード・ソフトに使うとされ、全米 2 万店とすると凡そ年間 15~ 20 億ドル(1500~ 2000 億円)の安定市場である。

日本と異なり、小規模のディーラーが無数に広い国土に散らばる米国でこの事業を展開するためには足で稼ぐ営業基盤が必要になる。だからこそ、世界最大の ERP ソフトウェア会社である独 SAP でも DMS 領域には参入できずにいた。だが、昨今米国ではメガディーラーによる寡占化が進んできた。 全米で約 17 百万台売られる新車の 6台に 1台は、全米 2 万店のうちトップ 100 に入るディーラーによるもので、M&A によりその数は年々増加している。メガディーラーに絞った効率的なマーケティングが可能になり始めているのである。

この状況をにらんで独 SAP は 2月に英国の DMS ソフト会社を買収し、今週から本格的に欧州での DMS 事業に参入する予定で、その先には米国での事業開始も視野に入っているとみられる。これに対抗して既存大手二社は、業界特化型の強みを打ち出すことに懸命である。ADP は、昨年 EDS から、運用コストの安いインターネットベースで開発されたサターン系列向けの DMS 事業を買収してブランド特性とディーラーニーズへの対応力を高めている。一方、R&R は技術者ではない北米三菱自動車のトップを自社の CEO に引き抜き、技術や製品を売るのではなく、ディーラーの声を聞き、そのソリューションを提供するという方向性を強めている。

マイクロソフトはどうか。2002年に R&R とアライアンスを結び、同社の最新型DMS ソフト「Reynolds Generation Series Suite」の開発を支援したが、他社との提携や独自ソフト開発も検討していると言われている。20 億ドルの市場規模は、巨人となったマイクロソフトにとって大きいとは言えないし、その割には既存企業の参入障壁も高い。また、DMS を押さえることがその他の自動車事業展開を有利に進める材料になると考えられる要素も少ないことから慎重な態度で千載一遇の機会到来をうかがっているものと思われる。
第三のテレマティクス関連システムのオペレーティング・ソフト(OS)開発事業とは、マイクロソフトが開発した「Windows Automotive」なるプラグ・アンド・プレイを可能にする OS を自動車メーカーに対して標準採用(OEM)装着してもらうものである。

同ソフトは、既にホンダ・アコードやメルセデス・ベンツ Sクラス等の高級車に採用され、2002年段階で米国のオンボード・ナビ・システム市場で 7% のシェアを持つと Automotive News は報じている。また、10年前には一台 30-50 ドルと割高だった同ソフトの単価も 3 ドルまで低下しており、採用に有利な状況が生まれている。

しかし、このソフトには致命的欠陥があり、それ以上の普及を妨げていた。指示と結果のフィードバックにビジュアル・ディスプレイ(要するにカーナビのインターフェース)を必要としていたことである。

住居表示・道路標示が複雑で交通渋滞による経済損失の大きい日本では動態的経路案内は今や必須のオプションとなり、数十万円の価格にも拘わらずカーナビが世界で最も普及しているが、欧米では多くの消費者がカーナビにそこまでの支出に見合う効用を見出していない。従って、高価なカーナビ・インターフェースなしで装着・制御できる端末やソフトが求められていた。

マイクロソフトは、そのソリューションとして「TBox」なる簡易端末を開発した。音声と、小さな端末についた二つのボタン操作だけで指示を行なうテレマティクス端末で、カーナビ・インターフェースを一切必要としないシンプルで安い(100 ドル以下)装置である。

マイクロソフト自身が製造するのはその制御ソフトだけで、機器の開発は伊 Magneti Marelli が行なう。

マイクロソフト自身が気付いていたかどうかは分からないが、「TBox」の長所として、そのコントロール・ユニットが小型軽量で置き場所を選ばないことから、自動車メーカーの開発担当者にとって「プレミアム・ゾーン」とされるインパネ周りに配置せずに済むことがありがたがられているという。

Automotive News によれば、「TBox」は既に Fiat グループ(Fiat、Alfa-Romeo、Lancia)の計 23 モデルに採用され、現在 Ford の Focus セダンへの採用も検討中とのことである。

この結果、今年度はマイクロソフトのナビシステム市場でのシェアは 16% に上昇する見込みであることも同誌は伝えている。

「TBox」に込められた意図とは、IT 調査会社 GartnerG2 の予測で 2010年には米国で 60 億ドル(6 千億円)に達するといわれるテレマティクス市場のコア・システムを牛耳るべく、まずは格安価格で多機能を盛り込んだソフト・ハードにて一気に普及と独占を狙うという「Windows 3.1」や「XBox」以来の伝統戦略の踏襲であろうと思われる。

【ベンチャー企業へのインプリケーション】

上記 3 つからうかがえるマイクロソフトの基本戦略は何だろうか。最終ゴールは、自動車の隅々に張り巡らされた ECU (高級車では 80-100個あるといわれる)を繋ぎ、自動車全体を制御する OS を一手に引き受けることであろう。また、それによって自動車メーカーを PC メーカーと同様に箱物のプランナー(企画)兼構成部品のアッセンブラー(組立)に置き換え、製品の中で最も付加価値が高い部分を自らが握り、箱物や構成部品がどこのメーカーのどのようなものであってもそれらを動かすソフトウェアは必ずマイクロソフトである、という形を目指すものであろう。

しかし、それをあからさまに宣言したのでは、業界でのナレッジもスキルもないまま自動車メーカーのガードを硬くし、参入余地がなくなることも承知している。だからこそいきなり本丸を狙うのではなく、顧客が困っているところの周縁部分から自らの得意分野、伝統的手法を活かしてまずは参入を果たし、学習しながら本丸を目指すという戦略を取っている。しかも、そのためのリスクが大きいところではアライアンスをうまく活用し、リターンが大きいと見えるところでは自ら踏み込んだ対応を取っている。

自動車業界に新規参入を考えるベンチャー企業にとって示唆に富むアプローチである。
しかしながら、上手にやっているように見えるマイクロソフトにも根本的・本質的な弱点がある。どんなに動いてもその巨大さが足かせになっていること、どんなに隠してもその本音が透けて見えること、どんなにほぐしても相手の警戒心を解けないことである。

DMS は、攻め方次第では可能性も事業性も見込める有望事業だが、マイクロソフト自身が慎重である。20 億ドル(2 千億円)は世界最大のソフト会社にとって投資を躊躇する市場規模だからであろう。

GM は、EDS 後継選定の過程でおそらく戦略的プライシングを出してくるであろうマイクロソフトに対して冷淡なコメントしかしていない。マイクロソフトの本音が見えているからであろう。

Ford も、100 ドルを割る「TBox」をローエンド・ミドルエンド車へのテレマティクス導入を促進するものと評価しながらも Focus への採用をすぐには決めようとしていない。マイクロソフトへの警戒感を解いていないからであろう。

このことは、自動車業界への新規参入を狙う多くの IT 系ベンチャー企業にとっては大きな励みとなろう。日本のベンチャー企業が EDS の後継に指名される確率は高いとはいえず、DMS でも確立された独占的地位にある既存企業を凌駕するのは簡単な話ではない。
だが、ベンチャー企業であっても「TBox」より技術的・価格的に優れた製品を開発できる可能性はあるし、開発できればマイクロソフトよりも優位に立てる可能性がある。

自動車メーカー自身では手が回らないが、業界外の大手企業でもその巨大さゆえに動けない、受け入れられない、といった領域こそベンチャー企業にとってチャンスである。

筆者は、2004年 11月発行の本誌 vol.37 にて自動車メーカーの品質保証部隊やディーラーのサービスショップでの利用価値の大きいと思われるベンチャー企業が開発した IT 技術を二つ取り上げた。
( https://www.sc-abeam.com/sc/library_s/column/3778.html

これら以外に、例えば CAE (Computer-aided Engineering)ソフトはどうだろうか。デジタル・エンジニアリング・ソフトはもはや内製ではなく、外部調達が自動車業界に共通した考えになっているが、大手ソフト会社は市場の大きい CAD (Computer-aided Design)は手掛けても CAE までは手掛けないことが多い。

2005年 3月 21日付け Automotive News は、オーストラリアのトヨタ・テクニカル・センターの、プロトタイプの製作と実験の工程を省いて CAD からツーリングまで 30 週間、「Confirmation Vehicle」と呼ばれる一発合格車の製作から量産開始まで 6 ヶ月で済ませる「Sportivo Coupe」プロジェクトを取り上げている。性能・品質の解析・シミュレーションを全てデジタルで行なって初めて実現するものである。CAE は現時点では市場規模も小さいかもしれないが、だからこそベンチャーの活躍の場であろうと思う。

<加藤 真一>