脇道ナビ (17)  『パブロフのイス』

自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。

【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカーを経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある

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第17回 『パブロフのイス』

岡本太郎氏の作品の一つに「座ることを拒否する椅子」というのがある。円筒形で背もたれがなく、スツールに近い形をしてはいるが、座面にデフォルメされた口や眼を持つ顔があり、とても椅子には見えない。それでも、「座ることを拒否する」と言われると、どれほど座りごこちが悪いのか、確かめてみたくなる。また、拒否されると、なおさら座ってみたくなるのが人情であり、ついつい作品に注目してしまう。そんな気にさせるということからすれば、作品のネーミングの勝利とも言えるのかも知れない。

岡本氏がどんな意図でこの作品を作ったのかは知らないが、「椅子 = 座るモノ」という常識や既成概念を否定することで、気づくものがあることを勧めているのだろう。ただ、こうした常識や既成概念はいつも同じであることや、確かであるからこそ、疑うことや否定することに意味がある。つまり、椅子は座りやすいとか、座るために最大限の工夫がこらされているからこそ、それらを否定したときにオモシロサや感動が生まれてくるのだ。

しかし、現実には「椅子」とは名ばかりで、座ることを拒否しているようなものは少なくない。例えば、しばらく座っていると、お尻が痛くなってどうししようもなくなる新幹線の椅子。硬く、冷たそうで座りたいとは思えないカタチや色をした公園の椅子。滑ってしまいそうなツルツルした座面を持つ椅子。前に座った人の汗や脂が光るような色をしたビニールの表皮で包まれた椅子。そんな椅子たちは題名こそついていないが、実際は「座ることを拒否する椅子」だ。

良い「椅子」とは、人に座ってもらうこと、それも 1分でも長く座ってもらうことが喜びだと考えるような心を持っているのではないだろうか。もっと言えば目の前を通る人を見ると、「座って欲しい」と条件反射でよだれをたらすような意思表示をするような椅子である。いわば「パブロフのイス」だ。もちろん、それは椅子に限らず、私たちの身の周りにあるモノはすべてそうあるべきだ。使い手、お客さんを見ると、よだれを垂らしながらカタチ、色、素材、性能、機能などを通して「使って欲しい」という意思表示をするようなモノ。そんなモノに命を吹き込むことができる開発者、企画者になりたいと考えている。

<岸田 能和>