「軌跡と構造」-クルマ社会の複合図-(10)「アジア発自動車産業再編」

これまでさまざまな要素の影響を受けながら、クルマ社会は世界各地で発展を遂げてきました。

いすゞ自動車にて国内マーケティング戦略立案等を経験したのち、現在は住商アビーム自動車総研のアドバイザーとしても活躍する中小企業診断士、小林亮輔がユーザー、流通業者、製造業者という立場の異なる三者の視点に日米欧という地理的・文化的な視点と時間軸の視点を加えつつ、クルマ社会の構造の変遷とその将来を論じていくコーナーです。

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第10回「アジア発自動車産業再編」

【いつか来た道】

昨今、中国での知的財産権侵害の問題が、再三、テレビで報道されています。北京郊外の国営テーマパークではディズニーや日本のアニメキャラクターを真似た着ぐるみたちが来場者を歓迎し、上海モーターショーではヨーロッパや日本の高級車を模した中国製車両が数多く出展されています。筆者も、以前、あるボディメーカーの現地子会社社長を務める知人からエルフそっくりの現地製トラックの写真を見せられたことがあります。フロントグリルはもちろんのこと、フロントガラスの形状、ドア形状、計器周りの細部にいたるまであまりにも似ていることに驚かされました。

日本の自動車産業においてインダストリアルデザインがインダストリアルデザインらしくなってきたのは 1970年代以降だと考えています。元デザイナーの諸先輩たちに聞くと、1960年以前の日本の自動車メーカー各社には、少なくともデザインのプロは存在せず、絵の上手な設計担当者が欧米の「名車」を手本にデザイン画もどきを描いていたようです。日本が欧米各国から知的財産権の侵害を厳しく指摘されはじめたのは 1970年代以降であり、現在の中国における違法行為は許せませんが、1960年代以前の日本では今の中国と同じようにコピー商品が制作されていたと推測されます。

今、中国社会は、日本社会が数十年前にたどった道を歩みつつあります。当然、いかに対応するか、そこでの選択肢は異なります。また、一方で日本の自動車産業も、アメリカ自動車産業が体験した道を、今、歩みつつあるのかもしれません。時代が、ロケーションが、国がもつ資源が違い、そこでの選択肢は、もちろん、異なるでしょう。

【知は行の始めなり】

中国の長い歴史の中で、古の賢者たちはすばらしい知恵を後の世に伝えています。明代の儒学者・王陽明は「知は行の始めなり、行は知の成るなり」と「知行合一」を唱えました。「知」というものは「行い」の始めであり、「行」というものは「知」の完成である、と言った意味であり、「知」と「行」、言い換えると、「理論」と「実践」の循環関係を示しています。今、われわれは先人たちの経験を「知」としてまとめ、「行」に備えるべきではないでしょうか。

【同じ轍を踏まない賢さ】

筆者は、この「軌跡と構造」の第 1 回に次のように述べました。アメリカ自動車産業と日本の自動車産業では歴史が異なりますが、遠くない将来、日本の自動車産業がアメリカの自動車産業と同じ轍を踏むことは絶対にないといえるでしょうか?同じ轍をたどらないためには、少なくとも轍の「軌跡」と、その上をたどってきた産業の「構造」を明らかにする必要があると思います。

これまでの「軌跡と構造」に綴ってきた論点を整理すると、アメリカ自動車産業を弱体化させた要因は、「あるべき姿の選択の誤り」と「制約条件への対応の誤り」であると筆者は考えています。

【あるべき姿の選択】

筆者が講師を務めるロジカル・シンキング(論理的思考)に関する企業研修では「あるべき姿」(To Be 、 Should)からの「現実の姿」(As Is 、 Actual)の逸脱(Deviation)が「問題」であると定義します。一流企業であれば、当然、この「あるべき姿」は明確であり、環境の変化とともに見直されていきます。しかし、組織が成長し、巨大化すると、「問題」があるとしても、この「あるべき姿」を容易には変えることができなくなり、やがて組織は硬直化し、時代にそぐわなくなった「あるべき姿」を追い続けることになります。

GM は、アルフレッド・ P ・スローンとその後継者である「財務マン」たちが築いた偉大な「あるべき姿」を機動的かつ適切に構築し直すことができなかったのです。また、「財務マン」がエンジニアを牛耳る GM では、財務的な「あるべき姿」を尊重するあまり、技術開発、商品開発、購買政策などの「あるべき姿」は次第にゆがめられていきました。
例えば、GM におけるサスペンションの基礎技術開発は、スローン退任以降、封印され、乗り心地の改善は、もっぱら、慣性重量を重くして、直進性を向上させ、路面からの振動を抑えることによって実現されました。その結果、ヨーロッパの自動車メーカーとの技術的格差は拡大を余儀なくされます。また、規模の経済に過剰に依存した購買政策・コスト対応は、円滑な部品開発にブレーキをかけるとともに、目的とは逆に固定費の高い部品生産体制を築くことになります。これらはいずれも本来の「あるべき姿」から逸脱しています。見直すべきであるにもかかわらず、そのゆがめられた「あるべき姿」を、その後も、そのまま追求し続けたのです。

巨大化すると、組織は官僚的、硬直的になります。筆者が会った GM スタッフたちの話からも、GM が「わかっちゃいるけどやめられない」状態にあったことは容易に推測できます。亡くなられた植木等さんのご尊父様が「親鸞聖人の教えに通ずる」とした真理だけに、日本の自動車産業に携わる皆さんも心に留め置いてほしいと思います。

【制約条件と環境演出】

先日放送された NHK 「ザ・プロフェショナル(仕事の流儀)」で建築家の隈研吾氏が特集され、「制約条件こそ最大のヒントである」「制約条件を乗り越えてこそ認められる」という隈氏のメッセージは参考になりました。

制約条件を考えるとき、「人」を忘れてはいけません。「人」のニーズ=要求は、企業などに対する期待そのものである場合もあれば、その人が置かれた制約条件を解決することが要求される場合もあります。また、「人」は「顧客」であることもあれば、「従業員」であること、さらには「地域住民」であることもあります。その制約条件をたくみに解決してこそ、差別性のある一流の提案として高く評価されることになります。

これと好対照な話が、先ごろ、リチャード・ギアがインドでのエイズ撲滅キャンペーンのイベントに参加して、インド人女優をステージ上で押し倒し、インド社会から激しい非難を受け、逮捕状まで出された事件です。キャンペーンへの参加は慈善行為であったとしても、この事件は、地域文化の制約条件を無視し、自分たちの文化が世界の中心にあるという驕りのもとでおきた事件ではないでしょうか。今でもアングロサクソンの社会では自分たちが世界の中心であると考えられているようです。

海外進出にあたっては、制約条件の克服やその解決のための環境演出が重要であることは多くの知識人たちから訴え続けられてきました。それにもかかわらず、アメリカ人、アメリカの自動車産業は、合衆国以外における制約条件を無視し続けています。賢明な日本人にはこれを「知」として受け止め、「行」に備えてほしいと思います。

【地動説を唱える謙虚さ】

質量の大きな天体には強い引力があります。世界は向心力のある国、地域を中心に回り、経済社会はより大きなマーケットを中心に回ります。さてその中心にいること自体は大切なのでしょうか。中心にいると、世の中はすべて自分たちを中心に回っているような錯覚、天動説的錯覚に陥り、自分勝手な妄想にとりつかれることになります。天動説的な錯覚に陥った国家、あるいは大企業は驕り、高ぶり、やがて自らを見失い、自壊していきます。

中心から距離を置けば、地動説的な謙虚さと冷静さを保つことができます。幸いにして日本の自動車市場は、世界からみれば微々たる市場であり、中心とはなりえません。一方、日本から世界市場を眺めると、中心がどこかを冷静に見極めることができます。今、生き残る日本の自動車各社は、世界の流れをつかみ、自分のポジションを自認したからこそ存続できたのだと思います。

【変革への挑戦】

マリアン・ケラー女史は、著書「GM 帝国の崩壊」の中でアメリカ自動車産業の雄である GM の復活を期待しています。ケラー女史と同様、日本の自動車産業出身の筆者は、もちろん、日本の自動車各社の一段の活躍を願っています。

アジアというと中国、インドからの情報が中心になっていますが、今、両国に限らず、さらにアジアの広域から発展の息吹が聞こえてきます。成長市場への対応が企業の競争ポジションに大きな影響を及ぼすことは、さまざまな戦略研究から明らかです。成長著しいアジア市場への対応次第で企業存続の可否が決まります。常に冷静に自らのポジションを見極め、変革への挑戦を忘れないこと、常に制約条件を意識して差別化に結びつけることが肝心です。先人たちの経験を「知」としてまとめ、「行」に備えてこそ、アジア発の自動車産業再編を機会として活かし、さらなる発展が期待できると考えます。

10回にわたり連載いたしました「軌跡と構造」は今回が最終回となります。
これまで関心をいただきました皆様方には心より感謝いたします。機会をみて新たな視点からの執筆へとチャレンジしたいと思います。

<小林  亮輔>