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コラム

「軌跡と構造」-クルマ社会の複合図-(9)「欧米の昨日・アジアの明日」

これまでさまざまな要素の影響を受けながら、クルマ社会は世界各地で発展を遂げてきました。

いすゞ自動車にて国内マーケティング戦略立案等を経験したのち、現在は住商アビーム自動車総研のアドバイザーとしても活躍する中小企業診断士、小林亮輔がユーザー、流通業者、製造業者という立場の異なる三者の視点に日米欧という地理的・文化的な視点と時間軸の視点を加えつつ、クルマ社会の構造の変遷とその将来を論じていくコーナーです。

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第9回「欧米の昨日・アジアの明日」

【時空を越える】

人文科学、社会科学では「時空を超える」と冠するテーマに出会うことがあります。先人たちの偉業を礎に現実を見極めようとするもの、地域の文化、ものの考え方を比較対象として実態を解明しようとするものなど、その内容はさまざまです。なぜ時間を超え、空間を越えようとするのでしょうか?

【時間軸をめぐって】

時を経れば、人は変わります。年齢を重ねることによって、子供は成人し、仕事に就き、結婚し、子供を育て、そして仕事を離れ、やがて人生の終焉を迎えます。加齢というと印象が良くありませんが、それを意味する「エイジング」には「時間効果」という意味があります。かつて、噺家(はなしか)の世界では四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧、と言われ、古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭円生ら、往年の名人たちは、年寄り固有のからだの痛みさえ、年長者の経験の豊富さとして表現されてきました。人は、それぞれの年代で、その年代固有の体験を重ねて人生における円熟さを増し、その経験を次の世代に伝承してきたのです。

人の集まりである社会も変化を続けます。親から子へ、子から孫へ、世代が進むにつれ、前世代から引き継がれる文化もあれば、環境の変化により途絶えてしまう文化もあります。また、その変化する速さも時代とともに変わります。農耕が中心であった時代には、何世代もの間、変わらぬ文化の中で同じ営みが繰り返されてきましたが、現代社会では、変化がめまぐるしく、親子が同じ体験をする機会さえも減り、年代固有の体験を次世代に伝えることの重要性は次第に希薄になりつつあります。

産業も時を経て、大きく変化します。ある産業は、誕生から成長期へ、成長期から成熟期へ、そして衰退期へとライフサイクルを進めます。また、産業構造は経済発展とともにコーリン・クラークの分類による一次産業中心から二次産業中心へ、さらに三次産業中心へと姿を変えていきます。日本も欧米の歩んできた途を追いかけるように第三次産業の就業者が増えています。

そして、人が変化し、社会が変わり、産業が一新されると、国家も姿を変えていきます。人も、社会も、産業も、そして国家もその歴史にふさわしい体験を経て成長していきます。そこにわれわれが歴史を学ぶ意味があります。

【空間軸を加えた時間軸】

しかし、歴史を学んでいるにもかかわらず、人間は愚かな生き物です。近代にいたるまで、ヨーロッパでは 30年ごとに大きな戦争を繰り返されてきましたが、30年を過ぎ、世代が変わると、過去の戦争の痛みも次世代に伝承することの価値が薄れてしまうようです。何度も戦禍を被り、同じ過ちを犯し続けることは愚かしいといわざるを得ません。地域・国境という空間軸を越え、先人たちの体験を活かして物事を解決することこそ後世に生きる人間の知恵であり、役割ではないでしょうか。

自動車産業は欧米で誕生して 100年を超え、まだまだ浅いとはいえ、歴史を積み重ねつつあります。欧米で積み重ねられた歴史をアジアで活かすことこそ賢者の選択といえるでしょう。

【過去の主役たちに学ぶ】

アングロサクソンという民族は、自分たちの文化を他人に押し付けることを得意とします。イギリス人はインドやインドシナ半島の植民地、熱帯、亜熱帯の植民地にウール製の礼服着用を宗主国のルールとして強要しました。また、戦後、アメリカ軍は日本進駐にあたっては、まず、日本におけるコカ・コーラの供給体制を確立しました。彼らは支配する領土を拡げると、そこに自分たちの習慣を持ち込もうとします。

今も産業界においてアメリカン・スタンダードをグローバルスタンダードと称して世界に強要し、ひたすらデファクト・スタンダードを確立しようとする彼らの姿勢には傲慢さが感じられます。

【大規模市場と岡目八目】

ところで第 3 回「アメリカのモビリティ拡大」でも論じたとおり、アメリカ大陸には強力な「モビリティニーズ」があり、アメリカ自動車産業は、その強力な「モビリティニーズ」を背景に、常に「規模の経済」の恩恵にあずかってきました。しかも彼らは、その強力な「モビリティニーズ」の恩恵にあずかれるのは常に自分たちだけである、という幻想を抱き、その幻想が経営判断を誤らせたのではないでしょうか。

これに対してヨーロッパのいくつかの優良自動車メーカーは、巨大なマーケットである北米市場を遠くから観察し、自分たちの優位性をどこに求めるか、冷静に判断しました。今でこそヨーロッパは EU という巨大な国家連合であり、大きく魅力的なマーケットとなっていますが、EU 成立以前、ヨーロッパは異質で小さなマーケットの寄せ集めで、市場としての魅力には欠けていました。そうした中でのヨーロッパ自動車メーカーの選択は、まさに岡目八目であったといえます。

【ヘクシャー=オリーン定理】

国際経済学に「ヘクシャー=オリーン定理(あるいはヘクシャー=オリーン命題)」があります。「各国は、その豊富に存在する生産要素を集約的に使う産業に比較優位を持つ」という考え方で、この説に従えば、資本が豊富な国では資本集約型の産業、豊かな土地に恵まれている国では農業、優れた労働力に恵まれた国では労働集約型の産業が比較優位ということになります。

ひとつの仮説ですが、アメリカの自動車産業はどこに競争優位性を求めるかの選択を誤ったのです。自動車産業をもっと資本集約的な構造にしていれば、日本の自動車産業がアメリカ市場に入り込む余地はなかったかもしれません。ところがアメリカの自動車メーカー各社は、資本を投入する道を選ばず、労働集約的な構造を残してしまったので、生産要素としての労働力に優位性のあった日本の自動車メーカーに参入する余地が生まれたのです。

さて、今、日本の自動車産業は、いかなる生産要素に優位性を求めるべきでしょうか。1980年代以前のように労働力を集約的に使うことはできません。近隣諸国、とりわけ発展著しい中国やインドにおける労働力の豊富さを考えると両国に労働力の面で勝ることは難しいと考えざるをえないでしょう。ここでアメリカ自動車産業のように労働集約的な構造を残せば、アメリカ自動車産業と同じ轍を踏むことになりかねません。

どこに国際的な優位性を求めるかによって、国家の栄枯盛衰、産業の興亡が決まります。では、どこに国際的な優位性を求めるべきでしょうか。産業資本の国際競争力を高めていかなければならないことは当然ですが、世界の金融市場や商品市場における現状の欧米資本の支配力を考えると、短時日に生産要素としての資本に国際的優位性を確立することは困難です。また、情報面は改善されつつあるものの、社会資本的にもソフトウェアの開発面でも現状では日本が優位性を発揮することは難しいといわざるをえません。

抽象的ではありますが、ヒト、モノ、カネに乏しい日本では「知恵と知識」に依存せざるをえないと考えられます。

【恵まれない国の選択】

クルマに対するユーザーニーズは国・地域によって異なり、さらに先進国におけるニーズと途上国におけるニーズは異なります。発展するアジア諸国にアングロサクソンの先人たちのように自分たちの文化を押し付ければ、戦前の大東亜共栄圏の再現と批判を浴びることにもなりかねません。

中国やインドといったアジアにおける巨大なマーケットが成長しつつあります。幸い日本は、それらの巨大なマーケットを遠くから冷静に見つめることができます。しかも、自動車産業における欧米の先人たちの選択の「軌跡」と「構造」の変化を冷静に見つめることができます。地域という空間軸を意識さえすれば、日本の自動車産業はどのような要素に優位性を求めるべきか、賢者らしい選択は可能であり、欧米の過去をアジアの明日に活かすことは可能であると考えています。

最終回である次回は「アジア発自動車産業再編」と題して「軌跡と構造」をまとめていきたいと思います。

<小林  亮輔>

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