「軌跡と構造」-クルマ社会の複合図-(6)「国境を越える」

いすゞ自動車にて国内マーケティング戦略立案等を経験したのち、現在は住商アビーム自動車総研のアドバイザーとしても活躍する中小企業診断士、小林亮輔がユーザー、流通業者、製造業者という立場の異なる三者の視点に日米欧という地理的・文化的な視点と時間軸の視点を加えつつ、クルマ社会の構造の変遷とその将来を論じていくコーナーです。

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第6回「国境を越える」

【ベルリンの壁崩壊】

1989年 10月 19日、フランクフルトから 2時間ほどで私たちの乗ったバスはフォルクスワーゲンのカッセル工場に到着しました。カッセル工場は歴史のある古い工場でした。約 1.6 キロ、ほぼ一直線につくられた生産ラインは、生産上、合理的であるとは言い難く、方向転換を繰り返す日本の自動車工場の生産ラインを見慣れている私たちには異様に映りました。古い建て屋ですが、気温差による空気の対流を利用した空調があるなど作業環境への配慮が感じられました。

それから 20日ほどでベルリンの壁が崩壊するなど、その時点では、全く想像できませんでした。

【EU統合がもたらしたもの】

ヨーロッパ主要各国における自動車の生産台数(乗用車のみ)を EU 統合前後と最近とを比較してみると以下のとおりです。

1980年  →  1990年  →  2005年
イギリス   923,744台 → 1,295,611台 → 1,596,286台
ドイツ   3,520,934台 → 4,660,657台 → 5,350,187台
フランス  2,938,581台 → 3,294,815台 → 3,112,956台
イタリア  1,445,221台 → 1,874,672台 →  725,528台

各国の景気、産業政策もあり、簡単に論じることはできませんが、イギリス、ドイツは 1990年と比較して 15~ 20 %前後、生産台数を伸ばしています。それに対して 90年代半ばまで順調な成長を続けていたイタリアは、経済政策のつまずきもあり、2005年の生産台数は 1990年の 4 割程度にまで減少しています(「自動車年間 2006-2007年版」日刊自動車新聞社より引用)。

【存在感を高めるイギリス・ドイツ】

生産台数以外に着目するとイギリスは、2005年、輸出台数を 1980年、90年に比べ 2.8 倍~ 3.3 倍にまで伸ばしました。これは EU 統合を機会に、ヨーロッパにおける生産基地として位置づける産業誘致策に成功したためであり、自動車産業に関して言えば、イギリス病からの脱却を図りつつあると言えます。

ドイツも、2005年、輸出台数を 1980年、90年に比べて 1.5 倍~ 2 倍前後にまで伸ばし、経済環境のすべてが順調というわけではありませんが、東西ドイツ統一後の混乱から脱し、むしろ統一のメリットを活かしつつあるようです。

一方、イタリアは、ベルルスコーニ前政権の経済運営の混乱からか、輸出台数も 1980年、90年に比べ 4 割~ 6 割減となっているなどヨーロッパ各国でもEU統合の影響はさまざまです。

【いつも「人の視点」で】

日本車は工業的品質面では欧米市場で高く評価されています。しかし、コンセプト面、デザイン面で高い評価をあげているクルマといえばヨーロッパ車が多いでしょう。大きなことを考えるのが好きなアメリカ人に「小さく考えよう」と提案したフォルクスワーゲン(ビートル)、全製品ラインに何十年も「究極のドライビングマシン」という一貫したアイデンティティを維持してきた BMWは今でも自動車のコンセプトワークやデザインワークの代表事例になります。

そこで気づくのは「人の視点」です。ヨーロッパ車には常に「人の視点」が感じられます。ビートルや BMW の例でいえば「考える」のも「ドライビング」するのもクルマを使う「人」なのです。「人の視点」を意識しているからこそ、伝統あるヨーロッパのクルマは 100 メートル離れて見ても識別できる「国境を越えた」存在感があるのです。

【「マイスター」の響き】

フォルクスワーゲン・カッセル工場見学時の話に戻ります。生産ラインの脇に 2 メートル四方ほどの透明なアクリルボードで囲まれた小部屋がありました。その中に白衣をまとった人がいて、図面に何やら書き込んでいました。工場の説明員によると彼はそこを担当するマイスターでした。

明るいグリーンの作業着をきた数人の作業員が彼の小部屋を訪れ、何か相談していました。しばらくすると、そのマイスターは白衣(作業員と違う!)をなびかせて作業員たちと現場に向かって行きました。マイスターにはアクリルボードで囲まれた小部屋とはいえ個室が与えられていました。

生産現場のリーダーを日本では班長・区長、アメリカのフォアマン、ドイツでは「マイスター」と呼ばれてきました。「マイスター」という呼び方にはいかにも「仕事のプロ」、「匠」という響きがあります。ドイツに限らずヨーロッパには人(職人)を中心に仕事が進められてきた文化的背景があります。EU統合、グローバリゼーションの進展によってマイスター制度の維持が困難になっている職種があるのは少々残念です。

【12勤9休のシフト】

カッセル工場を訪問してから数年後、フォルクスワーゲンは解雇を伴わないリストラを実現しました。すなわち 3 組 2 交替・ 12 勤 9 休のシフトを導入したのです。防衛型とよばれるこのワークシェアリングも「人の視点」にたった対応といえるでしょう。

それとは対照的に、同じころ、アメリカでは操業短縮となると「レイ・オフ制度」が適用されました。「レイ・オフ制度」は「一時解雇」と呼ばれるので誤解されがちですが、職能と貢献度によって従業員が仕事から離れる順位が決めえられ、景気が回復すると、後から離職した優秀な人材から復職する制度です。公的失業給付に一定の保障が加算されるので単純な解雇に比べかなり優遇されていました。しかし、「レイ・オフ制度」は設備稼働率を重視するアメリカ人らしい発想の制度であり、「人の視点」が尊重されたヨーロッパのワークシェアリングとの違いが感じられます。

【「人の視点」を忘れない】

私はけっしてヨーロッパ至上主義ではありません。しかし製品開発でも、生産体制・生産設備でもヨーロッパでは常に「人の視点」がある、ヨーロッパの自動車社会の端々にそう感じられるところがあります。

ヨーロッパを中心とする各社の労働分配率、売上高人件費率をみても人を尊重する姿勢がうかがわれます。高い労働分配率、高い売上高人件費率を維持し、人を人として扱いつつも企業としての強さを見出す工夫をする。これが数々の社会的革命と産業革命の厳しい洗礼を受けてきた国々の強さであり、それゆえ強いユーロが実現できたのではないでしょうか。

さて、もう一度フォルクスワーゲン・カッセル工場訪問時の話に戻ります。工場見学が終わると、さほど偉くもない日本人の訪問であるにもかかわらず、白い布のクロスがかけられたテーブル席で牛肉料理をメインとした午餐が振舞われました。そして食後には工場内でとれた栗から作ったリキュールがグラスに注がれました。ここで「人を人として扱っている」ことを肌身で感じることができました。

【やはりオンリーイエスタディ】

EU 統合におけるヨーロッパ各国、各社の対応を他人事のように片付けてはいけないと思います。アジアにおいても二国間による自由貿易協定(FTA)の締結が進みつつあり、アジア自由貿易圏に備える必要があります。

確かに EU 統合を経済成長、あるいはビジネスの機会として活かした国家もあれば企業もありました。その一方で EU 統合が脅威となった国もありました。日本もイギリスやドイツのようにうまく立ち回れると楽観的にばかり考えない方が賢明です。少なくとも今のイタリアのようにはなりたくないものです。いつか「オンリーイエスタディ’ 90s、今のアジアは 1990年代のヨーロッパに似ている」という日も間近かもしれません。

次回は、1980年代以降のアメリカ「ビッグスリーの変革」とその変遷について語りたいと思います。

(参考文献)
日刊自動車新聞社・日本自動車会議所編「自動車年間 2006-2007年版」日刊自動車新聞社 エンノ・ベルント「ドイツからみた日本的経営の危機」家伝社T・レビット著 土岐 坤「マーケティング発想法」ダイヤモンド社山崎正和著「おんりい・いえすたでい’ 60s」文春文庫Jack ・ Trout 「Schizophreniaat GM」 Harvard Business Review Sep.2005

<プロフィール>
中小企業診断士。住商アビーム自動車総合研究所アドバイザー。早稲田大学商学部卒。いすゞ自動車で営業企画、マーケティング戦略立案等に従事。GMTechnical Centerに留学、各種分析手法を導入。

<小林  亮輔>