「軌跡と構造」-クルマ社会の複合図-(3)「アメリカのモビリティ拡大」

これまでさまざまな要素の影響を受けながら、クルマ社会は世界各地で発展を遂げてきました。

いすゞ自動車にて国内マーケティング戦略立案等を経験したのち、現在は住商アビーム自動車総研のアドバイザーとしても活躍する中小企業診断士、小林亮輔がユーザー、流通業者、製造業者という立場の異なる三者の視点に日米欧という地理的・文化的な視点と時間軸の視点を加えつつ、クルマ社会の構造の変遷とその将来を論じていくコーナーです。

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第3回「アメリカのモビリティ拡大」

【「馬なし馬車」西へ行く】

前回論じた「馬なし馬車」の話はアメリカ大陸へと渡ります。

19世紀、アメリカ合衆国にはヨーロッパを中心に世界各地から移民が押し寄せました。移民たちの多くは新天地に夢を託して幌馬車隊を組み、西部開拓の旅に出ました。1840年代末、カリフォルニアで起こったゴールドラッシュはこうした西部開拓の波を加速させました。この時代、彼らの移動を支えたのはもちろん馬車、それも大きな幌馬車(=キャラバン)でした。

【モビリティとは】

さて今回話題とするモビリティ(Mobility)とは、可動性、移動性を意味し、状況に応じてすばやく移動できる能力を示しています。

南北戦争が終結し、1869年、最初の大陸横断鉄道が完成すると西部開拓熱は一段と加熱されました。奴隷解放を契機に進んだ工業化により移動の波は益々多様で複雑な動きへと変化していきました。

【成長との好循環サイクル】

広大な北米大陸ではアメリカ合衆国が力強さを増せば増すほどモビリティへの期待が高まります。また、モビリティの機能が充実すればするほどアメリカ合衆国は益々力強さを発揮していきました。つまり国の成長がモビリティ機能の充実をもたらし、モビリティ機能の充実が国をさらに成長させるという好循環サイクルが形成され、これが繰り返されることによりアメリカ合衆国は強大な国家となっていきました。そして、今、アメリカ合衆国は宇宙へ向けたモビリティと成長とのサイクルに活路を見出そうとしています。

【モビリティの担い手たち】

前述のとおり北米大陸においてこうしたモビリティニーズに最初に応えたのはもちろん馬車でした。つぎにこれに応えたのは陸上における長距離・大量一括輸送を可能にした鉄道でした。さらに19世紀末になると、蒸気機関を搭載した蒸気自動車やガソリン・エンジンを搭載した自動車が登場したのです。

そして自動車の運命を決定付けたのはアメリカ南西部での新しい大油田の発見でした。アメリカは大油田の発見によって、安価なエネルギー資源を保有する世界一の工業国になり、誰もが自分の自動車を持ち、運転できるようになりました。こうしてアメリカにおける個人のモビリティの担い手は馬車から「馬無し馬車」(=ガソリン・エンジンを搭載した自動車)に変わり、交通手段における自動車の役割は増大していきました。

【社会資本の厚みの違い】

北米大陸には今でこそインターステートハイウェイが縦横にめぐらされています。しかし、自動車誕生の時点ではけっして社会資本に恵まれているとはいえない状況でした。ヨーロッパには今も社会資本として活かされている石畳の道路があります。そうした歴史的な社会資本を 20 世紀初頭までは馬車が、現在でも自動車が人を乗せ、荷物を運び続けてきました。ヨーロッパと北米大陸とでは社会資本の厚みが違っていたのです。

【「泥道からの脱出」と「修理」】

アメリカの自動車産業史をつづったD・ハルバースタムの「覇者の驕り」にT型フォードが民衆に支持された理由が描かれています。自動車が出現したころのアメリカ合衆国ではほとんどの道は馬道としてつくられたでこぼこの泥道でした。貴族の馬車のように飾られた高級車がこうした泥道に車輪をとられて走れなかったのに対して、T型フォードだけは平気で走り抜けることができたということです。

しかもT型フォードは修理しやすく、よほど不器用でない限り、ユーザーは自分で修理することができました。北米大陸の郊外では、都市間の距離は長く、修理工場を、ガソリンスタンドでさえ見つけることが難しいといわれ、「修理のしやすさ」は欠かせなかったのです。「泥道からの脱出能力」と「修理のしやすさ」が北米における実用的な自動車としての必要条件であり、貴族やブルジョワジーのおしゃれな乗り物、モータースポーツ用マシンとして発展してきたヨーロッパの自動車とは根底からニーズが異なっていたのです。

【強力なニーズとその落とし穴】

北米大陸には「モビリティ」に対する強力なニーズがあります。自動車の黎明期にはヘンリー・フォードがこれをとらえ、続いてアルフレッド・P・スローン率いるGMが製品ラインナップを見事に整理して1960年代初頭まで階層別に細分化されたニーズに巧みに対応してきたのです。寡占的な供給構造にも恵まれ、GMのみならずビッグスリーは巨万の富を蓄えました。

アメリカ合衆国には産業が大きくなればなるほど国際競争に弱くなるというジンクスがあり、自動車産業もその例外ではなかったようです。北米大陸には常に自動車を必要とする多くの人たちの強力なニーズがあります。それにもかかわらず厳しい競争体験を経たヨーロッパや日本のメーカーが北米大陸に進出すると、寡占的な供給構造が崩壊し、アメリカ自動車産業は次第に競争力を失っていきます。アメリカが提唱するグローバリゼーションの進展が巨大なアメリカ自動車産業を弱体化させたのは皮肉ともいえるでしょう。この衰退のプロセスについては第7回「ビッグスリーの変革」で論じることとします。

さて、次回はヨーロッパの売り手に焦点をあて巧妙な商売の進め方について語りたいと思います。

(参考文献)
D・ハルバースタム「覇者の驕り」日本放送出版協会
鹿島 茂著「馬車が買いたい」白水社

<プロフィール>
中小企業診断士。住商アビーム自動車総合研究所アドバイザー。早稲田大学商学部卒。いすゞ自動車で営業企画、マーケティング戦略立案等に従事。GMTechnical Centerに留学、各種分析手法を導入。

<小林  亮輔>