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コラム

AYAの徒然草(64)  『私が乗りたくない時代の流れ』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第64回 『私が乗りたくない時代の流れ』

一週間前、私が会社帰りに乗った電車は、全て席が埋まっていて、立っている人がちらほらといる程度の混み具合でした。私は席に座って本を読んでいました。すると、途中の駅から一人の女性が乗ってきて、私の席から少し離れたドアの近くに立っていました。私には、なんとなくその女性が妊婦さんに見えました。「なんとなく」という表現をしたのは、お腹の大きさが微妙な大きさだったからです。臨月のお母さんのお腹のように、誰が見ても妊婦さんだとわかるお腹の大きさならわかりやすいのですが、その女性は、赤ちゃんが入っているのか、それともちょっと太っているせいなのか、どちらなのかわからない程度の微妙なお腹の大きさだったのです。でも、このぷっくりしたお腹の出具合は、太っているせいではなくてやっぱり妊婦さんのような気がするなぁと思ったのです。しかし、妊婦さんだったらドアの近くじゃなくて優先席の前に行くだろうなぁとも思い、「やっぱり違うかな」と結論づけ、私は座ったまま、本を読み続けました。

でもやっぱり私はその女性が気になって、本を閉じて思わずじろじろと観察してしまいました。見た目は 30 才前後で、会社にお勤め風のとても清楚な雰囲気の女性でした。左の薬指には結婚指輪をはめていましたので、結婚をしていることは確認しました。次に靴を見たら、ヒールの低い靴を履いていたので、だんだん私は、「妊婦さんに違いない」と確信を持ったんです。
そう確信したら、すぐにでも「どうぞ座ってください」と私の席を譲ってあげたい気持ちになりました。しかし、それをためらっている私もいました。なぜなら、もしも万が一違っていたら、つまり、妊婦さんではなく単にちょっと太っているせいでおなかがぷっくりしている女性だったら、と思うと声を掛けられなくなっていたんです。だって、もしも普通の女性なら誰だって、妊婦さんに間違われて席を譲られればとても傷つきますよね。傷つくどころか、怒り出す人だっているかもしれません。しかし一方で、もし本当に妊婦さんだったら、悠々と座っている自分が許せない気持ちもあったのです。結局、私は迷った末、席を立たずに座ったままでいました。

みなさんならこんな時、どうしますか?見て見ぬふりをして、座り続けるでしょうか?それとも、妊婦さんではない女性に席を譲って傷つけてしまうというリスクがあるとしても、席を譲るでしょうか?

電車の中と言えば、3 ヶ月くらい前、私はこんな経験もしました。その日は土曜日のオフの日で、私は夜、友達と食事をして、その友達と別れてから一人で電車に乗り座っていました。電車の中はガラガラに空いていました。乗ってからしばらくすると、酔っ払いの中年男性が乗ってきて、私の隣に座ってしまったのです。席は私の隣じゃなくても、ほかにもたくさん空いているのに、敢えて私の隣に座ってきたのです。そして、だんだん私の方に体を傾け寄りかかってきて、しまいには、私になにか大きな声で話しかけて絡んできたのです。
私は、あまりにも恐くて動けず、とりあえず、次の駅で降りようと思い、黙って下を向き、どうか次の駅まで何も起きませんようにとじっと我慢していました。
するとその時、遠くの方から大学生風の青年が私に近づいてきて、私を助けてくれたんです。酔っ払いに対し「なにをしているんですか!彼女恐がっているじゃないですか!やめてください!」と大きな声で怒鳴り、私に対しては、「ここは僕に任せて次の駅で降りてください」と囁き、私から酔っ払いを引き離そうとしてくれました。彼の言う通り、私は次の駅で降りましたが、降りた後、ほっとすると同時に、あの勇敢な青年はあの後どうなったんだろう?と、とても心配になってきました。また、電車を降りてしまったので、あの青年にお礼も言えず、なんとなく、私はすっきりしない気持ちでいました。あの「電車男」のような人がここにいた!と思うほどとても勇敢な青年に、私はお礼の一言も言えずにいるなんて・・・と、自己嫌悪に陥っていました。

翌朝、「昨晩、大江戸線内で酔っ払いとケンカをした若者が大怪我を負い重体」なんていう記事が載っていませんようにと祈りながら、私は思わず新聞を隅から隅まで読んでしまいました。幸い、そんな記事はどこにも見当たらず私は胸をなでおろしました。でも、あの恐怖から助けてもらったという私の感謝の気持ちを彼に伝えられずにいるという事実は変わらず、今でも、電車の中であの青年に偶然出くわさないかと思い、背格好の似た男性を見かけるとじろじろと見てしまっているんです。
(これを読んでくださっていればいいのですが・・・。)

「金は天下の回りもの」という言葉がありますよね。お金は一つのところにとどまっていることなく世間を回って動く。という意味ですが、私は、お金だけではなく、人に親切にしたり助けたり、また、思いやりの気持ちなどの「情け」も、世間を巡り巡っているような気がします。だから「情けは人のためならず」ということわざもあるんだと思うのです。
つまり、私は、青年に助けてもらったことをとても感謝しているものの、残念なことにその青年に直接、感謝の気持ちを伝えるチャンスがなく言えずにいますが、その気持ちを今度は私がほかの人のためになにかすればそれでいいのかなぁと思うようにしていたんです。それなのに、そのチャンスだった一週間前のあの時、妊婦さんと思われる女性に席を譲れなかったことが、とても残念というか悔やまれるというか、なんとも言えない複雑な心境になってしまったのです。私は、他人からなにかしてもらっても、私自身は他人になにもできないダメな人間なのかもしれないと、卑屈に考えてしまっていたのです。

この一連の話と私の複雑な心境を、最近知り合った某 IT 企業の若くて有名な社長さんに話したら、彼はこんなことを言ったんです。「彩ちゃんは、何も卑屈になる必要はないよ。彩ちゃんの方からその青年に助けてくれって頼んだわけじゃないし、それに、その妊婦だって、自分が座りたければ、ドアの近くになんて立たずに優先席の前に立つだろうし。あと、『情け』は世間を巡り巡ってなんかいないよ。お金もね。自分が感謝すべき人に感謝すればいいだけで、全く関係ない人にその感謝の気持ちを向けたって全く意味はないと思う。もっと自分に得することだけを考えていった方が生きやすくなると思うよ」と。
私を慰めるために言った言葉かもしれませんが、それを差し引いたとしても、私はこの言葉を聞いてがっかりしてしまいました。それは、たとえ社会的地位や名誉がある人でも、こんなにも自分のことを中心に考えるような人は、社会人としてではなく、まず一人の「人間」として、どこか間違っているような気がしてきたからです。それよりも、自分の身の危険を冒してまでも私を助けてくれようとしたあの勇気ある青年の方が、よっぽど人として魅力的に思えてきたんです。
IT 化が進んだおかげで私たちの生活は便利になったことがたくさんあります。でもその一方で、直接人と会って話をする機会が減っていることも事実です。そんなコミュニケーション方法の変化に伴い、自分のことばかりを考えがちで、相手の気持ちを察したり、相手の立場になって考えたりすることができなくなっている人がだんだん増えているような気がするんです。

たとえば、最近こんなこともありました。先日、友達と夜、食事をしていた時のことです。ラストオーダーの時間から 5分過ぎていたのですが、注文しそびれたものがあり、まだ間に合うかもしれないと思い少し無理を言って「大変申し訳ないんですが、あともう一品注文したいものがあるんですけどいいですか?」と店員にお願いしてみたんです。私たちは、「すみません、もうラストオーダーの時間が過ぎているので申し訳ございませんがお受けできません」という当然の返答か、あるいは、「まだ 5分しか過ぎていないので、可能かもしれません。厨房に少し聞いてみますので、少々お待ちください」というような反応を予想していたのですが、予想外の回答が返ってきました。その店員は、「私はもう失礼しますが、まだほかの者がおりますのでだいじょうぶだと思います」と言ったのです。店員から、自分の勤務時間のことが返ってくるとは驚きました。

「相手の立場になって考える」ということは、思いやりや他人を労わる気持ちと通じますよね。そう思うとますます寂しくなってきました。今の時代の流れはこうなのかなぁと思いつつも、でもたとえそうだとしても、少なくとも私自身は、このような時代の流れには乗りたくないなぁと思いました。

そう思ったら、思いやりの結果として妊婦さんとちょっと太めの女性を間違うことなんて、大した問題ではないと思い始めました。また、あの青年のように体を張って私を助けてくれようとした彼の優しさからくる「勇気」に比べたら、間違うことはなんともないことなんだと今になって気づきました。それに、私が知り合った某 IT 企業の社長さんのように自分のことばかり考えて地位や名誉を得ることができたって、きっと、そうなるまでには、彼の周囲の人々の中には蔑ろにされてきた人たちがたくさんいるような気がするのです。私は、そんなことまでして得た地位や名誉にはどんな価値があるのかと少し疑問に思うのです。

私は、私が乗りたくないこのような時代の流れに一緒に逆らってくれる人が増えることを祈りたい気持ちでいっぱいです。一人では流れは変えられないかもしれませんが、大勢で逆流すれば、流れを変えることができるかもしれませんからね。

<佐藤 彩子>

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