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コラム

アフターマーケットの成功者たち(2)『カーセブンディベロ…』

今や、国内製造業の屋台骨とも言える自動車産業。国内11社の自動車メーカーの動向は毎日紙面を賑わしている。

しかし、消費者にとって、より身近な存在と言えるはずの自動車流通市場については、あまり多く知られていないのも事実である。

群雄割拠の国内の自動車流通・サービス市場において活躍する会社・人物を、この業界に精通する第一人者として業界内外に認められる寺澤寧史が、知られざる事実とともに紹介する、新コーナー「アフターマーケットの成功者たち」。

第2回は、中古車買取店をチェーン展開するカーセブンディベロップメントを紹介する。
第2回『カーセブンディベロップメント』
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「数ある中古車買取チェーンの中で日本一の自動車販売台数を誇る企業はどこか」と聞かれたら読者の方々は何とお答えになるだろうか。

多くの方が 、 買取台数日本一のガリバーインターナショナルを想像されるのではないか。事実、ガリバーインターナショナルの 2003年度の買い取り台数は約 30 万台であり、アップルチェーンや買い取りのラビットなど二番手グループに 20 万台以上の差をつけており、文字通り中古車買取市場のガリバー企業として君臨している。

今回紹介するカーセブンディベロップメントは、買取台数約 2.5 万台と、ガリバーの 1/10 以下の規模に過ぎない。そこだけ見れば販売においてもガリバーがトップ企業だと推測されるのは自然な考え方だが、実は販売台数ではカーセブンディベロップメントの方が遥かに上回り、日本一である。

カーセブンディベロップメントの FC 加盟企業の新車・中古車の年間販売台数は 17.6 万台(新車 8 万台、中古車 9.6 万台)、中古車展示可能台数 1.1万台と、買取チェーンとしては日本最大の販売ネットワークである。

同社の中古車買取 FC チェーンの 2004年 9月現在の契約法人数は 48 社であり、FC 拠点数は 113 (2004年 10月見込み)である。一方、FC 加盟店が持つ販売拠点数は 513、関連従業員数は 3,830 人に達し、この買取ネットワークの裏にある販売ネットワークが同社の販売力の源泉になっているのだ。

それでは、カーセブンディベロップメントの沿革を眺めてみよう。

同社は、東京町田に本社を構える東証 2 部上場のケーユー代表取締役社長であった井上盛行氏が 1999年 7月に関東近県の中古車販売業者 5 社と協同し、買い取り機能を強化するために各社出資のもと(株)日本自動車流通研究所を設立したことに始まる。翌 2000年には(株)カーセブンディベロップメントに社名変更し、あわせて本社を町田ケーユー本社内から千代田区猿楽町に移し、その後業容の拡大とともに更に日本橋本町に移転して今日に至っている。

設立当初の出資企業は、ケーユーを筆頭にアクセルオート(東京都青梅市)、トーサイアポ(埼玉県三郷市)、潮来自動車販売(茨城県潮来市)、東京オート(栃木県小山市)、中部自動車販売(東京都東大和市)と関東を代表する中古車販売業者が名を連ねていた。
カーセブンディベロップメントの代表取締社長の井上盛行氏は、かつて 10年間勤務した神奈川日産自動車時代に、全国にその名を知られたトップセールスマンである。日産ディーラーに知己も多く、井上盛行氏が提唱する「流通原点への回帰ー小売店がはじめる新・車流通ネットワーク」に真っ先に賛同したのが、日産系ディーラー最大手の東日カーライフグループ(旧東京日産自動車販売)の子会社であるカーネット車楽であった。

当時の日産自動車は 、 経営危機に瀕しており、仏ルノー社が資本参加しカルロス・ゴーンが COO として派遣され、NRP が策定され実行に移される前後のころであった。

当時の日産では新車販売の建て直しが最優先事項であったことから、カーネット車楽は日産の中古車販売政策が後回しになるのではないかという危機感を感じ、カーセブンと提携することで、台頭する既存の買取チェーンの脅威に対抗する道を選んだのではないかと推測される。

カーネット車楽の社長であった仁杉力氏は、日産系販売会社の中古車部門に影響力のある大立者で、長野日産自動車、千葉日産自動車など有力地場ディーラーが次々にFC加盟した背景に同氏の影響力を指摘する声が多い。

カーセブンディベロップメントは、ボランタリーチェーン (VC) としてスタートし、2 期目には VC 形態のまま 74 店舗まで拡大したが、出店計画、販売戦略などで本部機能を十分に発揮できず、VC の行き詰まりに直面したのであった。

そこで、カーセブンディベロップメントの井上盛行社長は、UFJ 銀行(当時三和銀行)に勤務していた子息の貴之氏を専務取締役に据え、VC から FC に衣替えすると同時に店舗の見直しに着手したのである。また、ケーユーのコンサルティングを担当していた三和総合研究所の風野芳勝氏を取締役事業部長としてスカウトし本部機能の強化を図ったのであった。

2001年には切替に伴う混乱もあって、加盟社数 34 社、FC 店舗数 58 と減少したが、その後本部機能や FC 形態の認知や賛同が進み、2002年以降 FC 店舗の全国展開を加速、東北、関東甲信越、北陸、九州と 100 店舗を 2003年に達成した。2004年の 10月には 113 店舗まで拡大する見込みとなっていることは上述の通りである。

経営的にも、ネットワークが確立してきたことで、加盟金、ロイヤリティ収入、研修会収入が増加しており、経常損益は黒字転換しているものと思われる。

ここまで成長を遂げてきたカーセブンディベロップメントであるが、専務取締役の井上貴之氏は、しみじみとこのように語っている。

「寺澤さんね、私がこの会社に来た時には、いつつぶれるかと毎日ひやひやしていたものですよ。VC から FC に切り替えるタイミングが 、 もう少し遅かったら間違いなく、今のカーセブンは無くなっていたと思う。社長の決断は正しかった。」

ところで、「カーセブンって一体どういうネーミングなんだろう」と思われている読者のために解説しておこう。答えは、次の七つの C である。

カーセブン7つの「C」
1)Confidence
すべてに信頼のおけるカーセブンブランドを確立
2)Cost performance
高品質は情報・商品の提供と「売り買いおトク」の実践
3)Communication
お客様との豊かなコミュニケーションを創造
4)Convenience
適切な情報をタイムリーに得られる「情報拠点」としての利便性
5)Clean
クリーンで清潔な店内と透明で分かりやすい流通システム
6)Comfortable
心のこもった接客と快適性あふれる店つくり
7)Care
親身なアドバイスと万全なアフターケア

なお、先に延べたように設立当初の社名は日本自動車流通研究所である。
「カーセブン Car 7」は創業当時は CI として使用されていたものだが、創業から 9 ヵ月後に社名を CI の方に合わせて、変更したものである。

カーセブンディベロップメントのユニークさは人材教育にある。

あるとき、井上貴之専務が社員が毎日どんな新聞を読んでいるか調べてみたところ、30 人の社員の大半がスポーツ新聞を読んでおり、経済新聞を読んでいるのは 2-3 人しかいないという事実に愕然としたという。確かに中古車業界においてスポーツ新聞ネタは欠かせないものの、これでは FC 店での会話の幅も深みも出てこないことを懸念されたのだという。

爾来毎朝の朝礼で経済新聞の記事から印象に残った事柄を発表させることにした。その時のルールは、発表者がコメントした後に周囲の人間が「二つけなして三つ誉める」ことだという。

こうすることで、発表のために全員が争うように経済新聞を取り合う風景が生まれ、読むだけでなく発表することでプレゼン能力も向上する。しかも発表者以外もぼうっとしていられないし、発表者は批判よりも賞賛の方を沢山得られるから後にしこりを残しにくい。
これは一つの事例に過ぎず、こうした工夫がロール・プレイングなどのトレーニングの随所に取り入れられているのが同社の強みである。

鉄も熱いうちに叩き、水でさます、いわゆる焼入れ焼きなましで鋼として鍛えられるように、人間も厳しく鍛えることで成長をしていくことを、井上貴之専務も実感しているという。

中古車業界の顔役である井上盛行氏と、32 才ながら異業種出身の強烈な発想と個性で本部を牽引する貴之専務の絶妙な組み合わせで引っ張るカーセブンディベロップメントは、ガリバーインターナショナルと比べると地味ながら一味違う買取チェーンを構築している。それは、中古車販売店が小売を行うための買取というモデルであり、ユーザーから直接仕入れ、ユーザーに直接販売していくという中古車流通の原点に回帰するものでもある。同社の発展に期待したい。

<寺澤 寧史>

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