「アフターマーケットの成功者たち」『第 13回 プロトコーポレーション』

国内製造業の屋台骨たる自動車産業。国内 11 社の自動車メーカーの動向は毎日紙面を賑わしている。

しかし、消費者にとって、より身近な存在であるはずの自動車流通業界のプレーヤーについては、あまり多く知られていないのも事実である。

群雄割拠の国内の自動車流通・サービス市場において活躍する会社・人物を、この業界に精通する第一人者として業界内外で知られる寺澤寧史が、知られざる事実とともに紹介する。

第 13 回は、プロトコーポレーションを紹介する。

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第13回『プロトコーポレーション』

ここ数年で中古車情報雑誌は、発刊数も増え店頭で手にする機会も多くなっている。今回ご紹介するのは、中古車販売情報だけに特化し業界の先駆けとなったプロトコーポレーション(PROTO)である。 「カーといえば Goo」と言われ、企業名よりむしろ雑誌媒体名の「Goo」のほうが、読者の方にはなじみがあるかも知れない。

【PROTO 創業のエピソード】

PROTO 会長の横山博一氏は、浜松城北工業高校卒業後家業の自動車部品製造会社の橘製作所入社、その後他社でのサラリーマン勤務を経て、Goo の前身の「月刊中古車通信」を 1977年 10月に名古屋で創刊している。

横山氏は、経歴からも分かるように中古車業界とは、全く無縁の人であった。

それでは、中古車業界との係わりを持つことになった「月刊中古車通信」は、どのようにして生まれたのだろうか。

「月刊中古車通信」創刊に際しては、次のようなエピソードが残されている。

横山氏は、サラリーマン時代に中古車の購入をしたことがあるのだという。その時に、欲しい車を探すのに額に汗して何軒も何軒も中古車販売店回りをしたが、なかなか見つからなかった。

やっとのことで 1台の中古車を探し当てることができたのだが、同氏は、「1台の中古車を探すのに何と手間がかかるのだろう。中古車を欲しいと思っているユーザーは自分と同じ思いをしているはずだ。」

「一冊の本に中古車情報をまとめると探すのに便利ではないか、これを中古車ユーザーに提供すれば絶対にいける、間違いない。」と直感したという。それは、横山博一氏 27 歳の出来事であった。

【カーといえば Goo といわれるまでの軌跡】

当時は現在のような中古車情報雑誌は皆無であった。空白地帯だったのである。空白地帯は訳あって空白になっていることも多いが、同氏は、自らの体験上、ユーザーに中古車情報ニーズがあることに確信を持っていた。

そこで同氏は、前職を退職し、直ぐに自分の考えを実行に移した。経験も知識も人脈も持たない創業だったが後にリクルートが参入してくることを考えると、このスピードが成功要因になったと思われる。 写真付きの中古車広告を掲載して中古車ユーザーに販売するというアイデアは当たり、中古車販売事業者の賛同を得て「月刊中古車通信」は、3年目には事業として軌道に乗ったのであった。

「月刊中古車通信」創刊当時は個人事業であったが、軌道に乗った 3年目の79年 6月にプロジェクトエイトという法人事業とした。

当初の「月刊中古車通信」は名古屋版だけだったが、84年の静岡版を立ち上げ 8年の歳月を費やした後、92年に関西版、それ以降に北関東版、首都圏版、九州版、北海道版、東北版、中国版を発刊し、2001年には中・南九州版と全国10 エリア、44 営業拠点展開を果たしている。

その過程で 91年に現社名への変更、92年に現誌名への変更を行なっている。

【カーセンサーへの対抗策】

就職ジャーナル、住宅情報、とらばーゆなどで成功を収めたリクルートは、84年に満を持して中古車情報誌「カーセンサー首都圏版」を創刊した。 94年には、リクルートは関西に進出し、先行する Goo 関西版と激しいつばぜり合いを演じることとなった。

当時の PROTO の売上規模は 30 億円で、リクルートは 3,000 億円と業界内では象とアリの戦いと見なされ、リクルート優勢というのが専らの予想だった。

迎え撃つ PROTO 内部でも危急存亡の事態と捉えられ、大阪支社の川上支社長率いる 16 名の社員は、「かかってこんかい、カーセンサー」をスローガンに掲げて、リクルート対策を立てることとなった。

まともに体力勝負をしたのでは、資金力やブランド力で適うべくもない。そこで、関西地区で 2年先行していた PROTO は、次の 3 つの戦略に打って出る。

(1)広告スペースの小口売り
1 ページ広告を埋めるだけの資金や在庫を持たない、中堅・中小中古車販売事業者向けに広告掲載スペースを細分化して小口販売を行なった。

(2)広告主が欲しがる情報を提供
早くから卸売り(オークション情報)をデータベース化していた PROTO はこの情報を中堅・中小の中古車販売事業者に提供した。販売支援だけでなく仕入支援も行なうことで PROTO への広告掲載の価値を高めたのである。

(3)コンサルティング活動
価格情報や広告効果の測定結果、他の中古車販売事業者の成功事例等を踏まえて中古車販売事業者の経営の助言、指導を行なった。

PROTO は、中堅・中小の中古車販売事業者に広告主を絞り込み、大手を狙ってくるであろうリクルートとの正面勝負を避ける戦略を取ることで、関西地区での勝負を互角に持ち込んだのである。

翌 95年には、PROTO は逆にリクルートが独占する首都圏に進出する。

横山氏は、関西で成果を上げた川上支社長を抜擢し、関西で成功した手法を用いることで首都圏でも同様の成果を上げている。

首都圏でも中堅、中小の中古車販売業者を主なターゲットとし、中堅・中小中古車販売事業者の求める木目細かいサービスを導入することでリクルートのカーセンサーと市場をすみ分けることに成功した。

それ以外の地域でも、首都圏、関西圏で成功したモデルを持ち込むことで成功を収め、現在の 10 エリアまで拡大したのである。

【中古車情報雑誌の横展開】

地域軸での横展開を終えた PROTO は、その後商品軸での横展開を進めた。

GooWORLD (全国 5 地区の中古輸入車情報誌)、GooBike (全国 4 地区の中古バイク情報誌)、GooParts (全国の自動車中古パーツ情報)等である。

また、従来はオークション落札情報など「実績値」の提供にとどめていたが、99年には、中古車オークションの落札価格の「予想値」を提供するブルーブックを創刊してサービスの奥行きを広げた。競争相手が提供できないところまでサービスを深めて顧客の囲い込みを一層強化しているのである。

【競争の視点を変えてみる】

PROTO のケースから学べることは何だろうか。

知名度や資金力に勝る大手企業との競争に直面した中小起業やベンチャー企業の打ち手としては真っ向勝負を避け、大手企業とは異なる顧客セグメントを見つけ、その顧客セグメントが求めるサービス、大手企業では手の出せないサービスを強化することで独自の事業ドメインを構築していくことだと言えるのではないだろうか。

<寺澤 寧史>