AYAの徒然草(81)  『小さなハプニングへの心構え』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第81回 『小さなハプニングへの心構え』

みなさんは、ダブルブッキングをしてしまったことってありませんか?実は私、あまり大きな声では言えませんが、これまで何度かやってしまったことがあるんです。秘書を担当している私としては、失格ですよね。でも、幸い仕事では一度もないんです。しかしプライベートでは相手が友達で気が緩むせいか、「あ!やっちゃった!!」というドジを踏んでしまったことがあるのです。そんなとき、私は「あーあ、私って本当にダメだなぁ・・・」と気分が落ち込み、反省を通り越して自己嫌悪の深い谷底に落ちて、2~ 3日はそこから這い上がってくることができないのです。
実は、先日も久々にやってしまったんです。それは、ある目上の方と二人で食事をする約束をしたのですが、すっかり約束をしたことを忘れてしまい、会う約束の時間に、私は別の友達と外で食事をしていたのです。正確に言うと、私が日にちを勘違いして、一週間先の約束だと思い込んでいたのです。会う約束の時間を少し過ぎたころ、先方から「今どこ?私はもうお店に着きました」というメールが届き、その瞬間、私の顔が青ざめたことは容易に想像がつくと思います。
当然、その後すぐに電話をして、正直に勘違いしていたことをお話し、丁寧に謝ったのですが、私は「きっと許してはもらえないだろうなぁ・・・」という不安がよぎっていました。しかし、予想外の反応のお陰で、私は許されたような気がして自己嫌悪の谷底へ落ちずに済んだのです。「そっかぁ・・・。彩ちゃんみたいにいつもたくさん予定が入っている人はそういうこともありそうだよね。今からじゃもう時間も無いし、今、一緒にいるお友達にも悪いから、また今度にしましょう。あ、気にしなくていいからね。こんなことは大した問題じゃないから。食事はまたいつでもできるわけだし。じゃ、また連絡するね。」というまるで神様のような言葉を聞き、私は命拾いをしました。そして、なんだかほっとして、涙が出てきそうにもなりました。
しかし、もしも私が逆の立場だったら、すなわち、私が誰かに約束をすっぽかされたとしたら、このような大人の対応はきっとできないだろうなぁ・・・、と思うと、自分の心の狭さを感じ、段々自分が恥ずかしくもなってきました。残念ながら今の私には、こういう小さなハプニングを「大した問題ではない」ととらえる寛大な心はないかもしれません・・・。
後日、私は改めてその方とお会いし、丁寧にお詫びをしました。「先日は本当にすみませんでした。許して欲しいとは言わないけど、せめてお詫びだけはさせてください」と言ったところ、これまた人間の大きさを感じる言葉を受け、私はとても感動してしまいました。それはこんなお話でした。「比較論の問題だけど、生きていく上で、今回のことなんかよりももっと致命的にイヤなことや頭に来ることなんてほかにたくさんあるよ。だから、本当に大した問題ではないと思っているので全く気にしなくていいよ。」と言うんです。また、「たとえば、誰かのミスのせいで自分自身の死活問題にかかわるようなことが起きてしまったとか、自分の家族など大切な人たちを傷つけられてしまった場合などは、当然、隠せないほどの怒りが込み上げてきて、謝ってもらってもきっと許せない。でも、そうじゃなくて、日常よくある出来事で、それが取り返しのつかないことでなければ、そんなことでいちいちイライラすることはナンセンスだ。」と言うんです。
そして、こんなこともおっしゃっていました。「そういうことが原因で、その人を嫌ったり避けたりすることも、全く意味がない。人を嫌うことってエネルギーが要ることで、そんな何の役にも立たないことにエネルギーを注ぐことは合理的じゃない。悪気があってやったわけじゃないんだし、今回食事をすっぽかされたら一生会えない、なんていう問題でもないんだから、そんなことは大した問題ではない。と思う方がおりこうさんでしょ?」と。
段々、その人の後ろから光が差してきて、今度はお釈迦様に見えてきたくらい、この人ってすごいなぁ、と感じた瞬間でした。また、いつも冷静で頭が良く、そして誰からも好かれる理由がわかった瞬間でもありました。

そんなことがあって数日後、私が朝、電車の中で立っていたら、隣のおじさんに足を踏まれたんです。もちろん、わざとではありません。踏まれて「痛い!」と思ったら、そのおじさんが「すみません」と丁寧に謝ったので、数秒後には私のイライラはどこかへ飛んで行きました。でも、痛さはしばらく残っていました。
しかし、もしも同じことが、私の気分がもっと悪い日に起きたとしたら、きっと同じように踏まれて謝られたって、「もぅ~おじさん、もっとしっかりとつり革につかまって立ってよね!」と、腹立たしさが込み上げてきて、しばらくはイライラが治まらなかったと思うんです。
小さなハプニングをいちいち大きくとらえない思考だと、こんなときはきっと、「ハイヒールで踏まれたらもっと痛かっただろうな。おじさんで良かった。」と考えるんだろうなぁと思います。また、ほかのたとえで言えば、渋滞に巻き込まれた場合、クルマ空間を楽しむ時間が増えて良かった、と思うことができたり、嫌いな人がいたとしたら、嫌うことにエネルギーを注がず、「私もああいう人間にはならないようにしよう」と逆に自分を戒めることにエネルギーを注げる、といったことなんですよね。
これからは、私も自分に降りかかってきた小さなハプニングを、「こんなことは大した問題ではない」とプラスにとらえるようにしたいなと思います。その方が、毎日とても気分良く過ごせそうです。だって、もう起こってしまった小さなハプニングに対してごちゃごちゃ言っても仕方のないことですものね。そう思えたら、なんだかすでに自分が、「なんでも来い!」と思える大きな器になったような気がしてきました!!

<佐藤 彩子>