自動車業界を始め、複数の業界にわたり経験豊富なコンセプトデザイナーの岸
田能和氏が、日常生活のトピックから商品企画のヒントを綴るコーナーです。
【筆者紹介】
コンセプト・デザイナー。1953年生まれ。多摩美大卒。カメラ、住宅メーカー
を経て、1982年に自動車メーカーに入社。デザイン実務、部門戦略、商品企画
などを担当。2001年に同社を希望退職。現在は複数の業界や職種の経験で得た
発想や視点を生かし、メーカー各社のものづくりに黒子として関わっている。
著書に「ものづくりのヒント」(かんき出版)がある
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第39回 『鏡よ鏡、世界で一番・・・・・』
数日前、地下鉄で若い男の子が鏡を見ながら指先で前髪をつまんでは、しき
りにその位置を気にしている姿を見た。油で固めてしまえば別だが、前髪なん
て簡単に動く。それを、気にしても仕方がないじゃないの、と突っ込みたくな
ったのをこらえていたが、彼は降りるまでずっと鏡を見ながら前髪をいじって
いた。そんな男の子はまだ少ないが、電車の中で女子高生や若い女性が鏡を出
して、はさみのようなもので、まつげをつまんだり、眉を描いたりする姿を見
ることは珍しくなくなってしまった。そんな彼女たちが持つ鏡はコンパクトな
ものではなく、直径が 15 センチくらいある手鏡など持ち歩くには結構な大き
さだ。それでも、肌身離さず大きな鏡を持ち歩いていることに、おしゃれに興
味のない私としては尊敬するしかない。
もちろん、おしゃれに縁遠い私でも鏡に向かうことはある。ひげを剃るのは、
なかなか手抜きができないからだ。ほんの数ミリの長さの剃り残しが 1本あっ
ても、これがけっこう目立ってカッコ悪い。しかたがないので、休みの日以外
は、鏡に向かって、ひげと格闘する。今朝も鏡を見ながら、ひげを剃っていて、
ふと手が止まってしまった。鏡の中には長く付き合ってきた私の顔があったが、
もし、鏡がなかったら自分自身の顔を見ることなく一生を過ごすことになると
考えたからだ。それはそれで、なかなかオモシロイ話だ。たとえば、私が鏡の
ない国で暮らしていたとしよう。ある日、どこかの別の星から宇宙人がやって
きて私の顔を鏡で見せてくれる。しかし、その鏡の中の顔を見せられ、「コレ
ハ、オマエノカオダ」と言われても、生まれてこの方、私自身の顔を見たこと
がなかったのだから、信じて良いのかどうか迷ってしまうはずだ。
金属製にせよ、ガラス製にせよ、鏡は永く貴重品であった。それが、近代に
入り、ガラスでできた鏡を誰でも(お金があまりなくても)手に入れることが
できるようになったのは 100年も経っていない。言い換えれば、水面に映るぼ
んやりとした顔ではなく、自分自身のハッキリとした顔を、貧富の差に関わら
ず誰もが知るようになったのはまだ少しの時間しか経っていないとも言えよう。
技術の進歩や市場の成熟などによって、いろいろなモノが生まれ、最初は遠
い存在だったモノが身近な存在となること多い。携帯電話やパソコンなどはそ
の最たるものだろう。たまには、身近になったことで、以前の私たち自身が知
らなかったこと、分からなかったこと、できなかったことが何だったのかを考
えてみることはオモシロイし、忘れていた大事ことを思い出させてくれる。
<岸田 能和>
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