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加藤 真一 執筆記事一覧
 
 
 
『国内自動車市場に拘る二つの理由』

◆読者のお一人から私どもの投書箱に次のようなご意見を頂戴した。

『御社のコラムを毎回拝読しています。内容については様々な感想を抱いてい
ますが、ひとつ、素朴な疑問があります。それは、なぜ、この日本で、さらに
車を売ろうとするような内容の記事、コラムが多いのかということです。車と
ユーザー、社会との良好な関係を築くのが成熟した車社会であり、御社のよう
な企業でも、そういった視点の提言が、もう少しあってもいいように思います。
例えば、私の住居の近隣では、すでに高齢ドライバーがかなり目立ち、一般道
路を時速 20 キロ程度で走るような車も少なくありません。また、危険な運転
の高齢者も急増しています。車で出かける度にイライラするような状況です。
おそらく、地域差はあっても似たような事態が進行しているでしょう。はたし
て、こういった現実を前に、車を売ることに視点を置いたコラムが、どこまで
説得力があるのか疑問です(業界向けの内容としても)。』

 実は投書箱においても、また筆者の友人たちとのコミュニケーションにおい
ても、弊社のメールマガジンに関する不満・問題点として最も指摘が多いのが、
「自動車業界側の立場に寄りすぎていないか」、「環境・安全の両面から自動
車依存度を下げようとする社会や時代の動きと逆行している」という批判であ
る。

 今回は、こうした全うなご批判に対して、一度私どもの考え方を整理してご
説明しておこうと思う。

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【自動車から始める日本のイノベーション】

 はじめに私どもの立場と、このメールマガジンおよび私どものビジネスの実
態を率直にお伝えしておく。

 「自動車業界特化型コンサルティング会社」として、自動車産業の課題解決
や持続的成長に貢献することこそが私どもの使命だと認識しており、自らを自
動車産業の応援団だと位置付けたうえでものを考え、行動していることは事実
である。

 また、このメールマガジンの読者の 6 割が自動車の開発・調達・生産・流通・
整備を事業とする企業にお勤めであり、これに車載用の電子部品や自動車製造
用の工作機械、自動車関連企業向けに製品やサービスを納入している企業の方々
を含めると読者の 9 割以上が広い意味での自動車業界人だという実態もある。
私どものコンサルティング業務の依頼主もほとんど全てがこのメールマガジン
の読者である。

 だが、だからといって自動車産業におもねっているわけではない。寧ろ、コ
ンサルティングの現場では、「正論だろうが、そこまでやったら国内でクルマ
が売れなくなるから勘弁して欲しい」と言われることの方が多い。

 では、なぜ私どもが国内自動車市場に拘るのかという理由の第一は、本誌で
繰り返し述べてきている「自動車から始める日本のイノベーション」という私
どもの信念と大きな関わりがある。

 http://www.sc-abeam.com/mailmagazine/kato/kato070109.html
 http://www.sc-abeam.com/mailmagazine/kato/kato060110.html

 子供を持つ一人の父親として次世代の日本人にも現在私たちが享受している
のと同じ日本人としての豊かさと誇りを残してやりたいと思う。豊かさとは、
全うな自助努力で安全で快適な人間生活が手に入る社会経済状況のことであり、
誇りとは、空港でパスポートを提示したときに犯罪者の疑いではなく信頼と尊
敬の眼差しを向けてもらえる国際社会での位置づけのことだと筆者は定義して
いる。

 ところが、日本の総人口は 2005年から、生産年齢人口だけを取れば 1995年
から減少時代に入っており、豊かさと誇りを実感できるような社会経済状況と
国際社会での位置づけを維持しようと思うと、一人あたりの生産性を飛躍的に
高めるほかはない。弊社のシミュレーションでは、一人頭生産性を 2000年代初
頭の 7 倍のスピードで向上させ続け、2050年には約 2 倍に高めていない限り
その時点での GDP は一人頭でも総額でも減少している。(因みに 2050年とは
遠い先の物語ではなく、いまを生きる日本人の半分近くが(その時点での生産
年齢人口に依存しながら)生存している近未来のことである。)

 しかしながら、自動車ニュース&コラム 2007年 9月 3日号によれば、実態は
次のとおりである。

 『労働生産性、米国が 6 万 3885 ドルで首位。日本は 4 万 4877 ドルで 16
位。国際労働機関 (ILO) による、2006年の 1 人当たり GDP でみた労働生産性
調査。働き過ぎと語られる日本人だが、平均労働時間は 1784時間で、米国の
1804時間、韓国の 2305時間などを下回った。労働時間当たりの GDP でみた生
産性は 25.16 ドルで 18 位。首位はノルウェーの 37.99 ドル、2 位は米国。』

 為替(購買力平価)によるところやライフ・アンド・ワーク・バランスの考
え方が浸透して労働時間が減っていることを割り引かないといけないにしても、
一人頭の生産性は相変わらず先進国の中では最低水準に低迷している。

 しかも、これは流通・サービス業だけの問題ではない。一般に「日本の生産
性は自動車産業など製造業では高いけれども流通・サービス業の生産性が低い
ために全体が押し下げられているから、後者を高めなければいけない」と言わ
れる。
 だが、今回の ILO の調査・分析結果を見ると、それが俗説であることが分か
る。確かに、日本の輸送・通信部門、卸売・小売(ホテル・飲食産業を含む)
産業の労働生産性は、ベンチマークである米国との比較において、各々 50% 前
後に低迷しているものの、製造業のそれも米国の 6 割弱に過ぎず、カナダにも
及ばない。欧州各国の製造業の労働生産性との比較においても労働時間の少な
いドイツを若干上回る程度であって、英仏蘭には及ばず、北欧諸国には惨敗の
状況である。日本の製造業の労働生産性は、欧米諸国よりも寧ろ韓国や台湾に
近い水準である。

 「自動車から始める日本のイノベーション」とは、日本の製造業におけるこ
の低迷状況をブレークスルーする役割を自動車産業に期待しているということ
に他ならない。

 日本の全製造業の設備投資額はこの 10年間に 9 千億円増加したが、その 6
割の 5400 億円は自動車産業での増加によるものである。同じく全製造業の研
究開発費もこの 10年間で 2 兆 2 千億円増加したが、その半分の 1 兆 1 千億
円は自動車産業での増加分である。

 GDP の 2 割を占める基幹産業がイノベーションでもトップランナーとなって
他の産業に波及効果をもたらし、結果として日本全体が生産性の高い産業社会
構造になっていくことを期待し、それを支援していこうという私どもの姿勢を
示したものが「自動車から始める日本のイノベーション」なのである。

 なお、自動車ニュース&コラム 2007年 8月 29日号によると、国の考え方は
次のとおりである。

 『冬柴国交相、自動車関連諸税を引き下げる考えはない。税金を含めた自動
車維持の経済的負担が、消費者による新車の買い控えを招いているとの見方に
ついて、「(自動車保有台数は)8000 万台でもういいのではないか。 それをま
だ面倒みるというのは限りがない」と述べた。』

 これは購入(買換)と保有を混同した議論であって同調できないが、それ以
上に労働生産性は一人あたり GDP (国内総生産)で示されるとおり、国内付加
価値であるという点が重要である。この数字は輸出によっても増加するが、様々
な理由から海外生産が進んでいる自動車産業においては国内消費が大幅に減る
中では増えていかない。私どもが国内自動車市場に拘る理由の一つはそこにあ
る。


【基本的人権の実現手段としての自動車】

 私どもが国内自動車市場に拘るもう一つの理由は、自動車が嗜好品ではなく
必需品であること、上述の表現を用いれば「豊かさの実現手段」、また、以前
本誌で引用した表現を使えば「市民革命では得られなかった基本的人権を実現
したのが産業革命がもたらしたパーソナル・モビリティ」だという点にある。
http://www.sc-abeam.com/mailmagazine/kato/kato0164.html

 筆者は自動車ニュース&コラム 2007年 9月 4日号に掲載された次の記事に注
目した。

 『生活保護を受けている男性 (70) の「車通勤を認めて」、男性の支援グルー
プ。生活保護の受給にあたっては原則として車の所有は認められていないが、
(中略)柔軟な対応を求めた。』

 また、自動車ニュース&コラム 2007年 9月 6日号の次の記事にも関心を持っ
た。

 『北海道夕張市、救急車も老朽化で不具合。患者搬送中に高速道で立ち往生。
(中略)救急車は、1996年購入で走行 12.4 万 km。エンジン交換が必要で、財
政事情から修理代を含め 47 万円の中古エンジンに換装した。2000年に購入し
た他の 1台も、走行距離はすでに 13.5 万 km。札幌市消防局の基準 (購入から
6年または走行距離 12 万 km) なら、どちらも更新期を過ぎている。藤倉肇市
長が 6日朝、北海道庁を訪ね、「新車」の配備を陳情した。』

 二つの記事を通して筆者が感じたことは、「もう自動車はいらない」という
のは、社会的強者である都市に住む健康な現役世代の人々の論理に過ぎないの
ではないかという問題意識である。

 私どもが最近行なった自動車保有ニーズの多変量解析の結果によると、自動
車保有台数を増減する要因は大都市と地方それぞれに 3 つずつあり、両者に共
通するのは「都市(人口集中地区)の人口密度が高まれば高まるほど自動車保
有ニーズは低下し、都市の人口密度が下がれば下がるほど自動車保有ニーズは
上昇する」という因果関係である。

 そもそも日本の自動車の保有台数が一貫して上昇してきた背景には、60年代
以降都市化が進み、都市の人口密度が一貫して低下してきたに主因があると考
えられる。都市化の進行と都市の人口密度低下は二律背反のように聞こえるか
もしれないが、実際にはそうではない。都市が求心力を持てば持つほど周辺の
農村部から人口を吸収するが、都市中心部(旧市街地)には新市民を吸収する
余地はないから必然的に新市民は旧市街地の周辺に新市街地を形成して住むこ
とになる。仮に旧市街地と新市街地の人口が同じで、新市街地の半径は旧市街
地の半径の 2 倍であったとしても新市街地の面積は旧市街地の 4 倍になるか
ら、都市全体の人口密度は半分に低下するのである。

 都市経営の立場に立てば、人口密度の高い旧市街地にはバス、路面電車、地
下鉄(水道管や電話線、電線も同様)を放射状にも管状にも網の目のように張
り巡らせることが経済的に可能だし、映画館や商店街の立地も可能である(寧
ろそれが都市の人口吸引力を高める発端である)が、人口密度が低い(前出の
事例では旧市街地の 1/3 になる)新市街地には精々旧市街地に向かう放射状の
交通インフラの整備で手一杯になる。その結果、農村部で生活が完結していた
当時には徒歩と自転車で十分だったし、旧市街地では公共交通インフラで十分
なのに、新市街地では自家用車なしでは生活ができなくなる。これが日本のモー
タリゼーションを支えてきた構造的要因であった。

 こうした動きは引き続き県庁所在地で継続しているものの、昨今日本国内で
は人口移動の新しい形態が生まれつつあり、それが自動車の保有ニーズや自動
車産業の事業構造を変えつつある。

 第一に、大都市圏中心部(東京で言えば中央区、千代田区、港区、渋谷区な
どの大規模開発マンション)への人口集中である。これは都市の面積的拡大を
伴わない都市化であり、人口密度を逆に増加させる都市化であるから、自動車
の保有ニーズは低下する。こうした背景から本年 3月、東京都の保有台数が全
国に先駆けて史上初めて減少に転じた。

 第二に、県庁所在地以外の地方都市の空洞化、崩壊である。従来、都市が持
っていた魅力(商店街や映画館、バスターミナルの価値)が、郊外型のショッ
ピングセンターや、大型の家電量販店、ファミレス、紳士服店などとの比較で
急速に薄れ、周辺人口を吸引するどころか、旧市街地人口も周辺に流出し始め、
都市が都市としての機能を果たさなくなるケースであり、人口密度の低下と逆
都市化(都市崩壊)が同時に起きていることになる。

 この第二のケースでは、人口密度の低下により自動車保有ニーズは一層高ま
るものの、事業者側では固定的なビジネス拠点を維持することが難しくなるこ
とが問題である。地方都市の商店街のシャッターが降り、映画館が閉鎖され、
バスターミナルが閑散としたバス停の一つになってしまう。それだけならまだ
しも、教育、医療、福祉、ライフラインなどの維持もままならなくなる。夕張
問題とはこのように都市空洞化により都市経営が困難になった一例に過ぎず、
実は全国の地方都市の大半がその予備軍だと考えられる。

 私どもが国内自動車市場に拘るもう一つの理由がそこにある。

 途中で定義したように、「豊かさとは、全うな自助努力で安全で快適な人間
生活が手に入る社会経済状況のこと」だと筆者は考えるのだが、教育・医療・
交通・ライフラインなどの社会インフラの維持が困難になりつつある地方都市
の住民にとって、自ら自動車を保有し、自らの意思と力で自動車を動かすとい
う「全うな自助努力」によって、「安全で快適な人間生活が手に入る社会経済
状況」が必要だと考える。

 大都市住民や現役世代、健常者の視点だけで社会的効率を考えれば、確かに
自動車は不要なものになりつつあるのかもしれないし、自動車産業の事業効率
の視点だけで判断すれば他市場に比べてリターンの低い国内市場は淘汰される
べきなのかもしれない。

 だが、自動車は基本的人権の実現手段という役割も担っている。それは地方
都市で商店街や映画館が持っていた価値とは比較にならないほど重要なものだ
と信じるからこそ、社会の側にも自動車に対する一定の配慮を望み、自動車産
業にも安易に国内市場を見捨てたり、切り捨てたりせず、何とか知恵と汗によ
って国内ネットワークを維持していくことを望んでいるのである。

 もちろん、そのために社会との良好な関係を損なってはならず、共生のあり
方を考えていくべきことは読者のご指摘の通りである。


                            <加藤 真一>















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