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本條 聡 執筆記事
 
 
 
このコラムでは、日本の自動車産業の歴史を、その当時の名車・歴史的に意義
が大きい車に着目し、その車をめぐる経緯や歴史的背景、後世への意義を考え、
日本の自動車産業を見直してみたいと思います。
第1章としては、20 世紀初頭から戦後間もない頃の日本に焦点を当て、黎明期
の自動車産業と、現在の自動車メーカー誕生にまつわる話しを4回に分けて紹
介します。

第3回 『トヨダAA型』とトヨタ生産方式の始まり

 第3回は、トヨタ自動車の産みの親である豊田喜一郎氏がトヨタ自動車初の
国産乗用車である『トヨダ AA 型』を誕生させるまでの経緯とその時代背景に
ついて紹介します。

 豊田喜一郎氏の父であり、トヨタグループの創始者である豊田佐吉氏は、1891
年に人力織機の発明をしたのを皮切りに、織機の開発・販売で起業しました。

 1918年には豊田紡績株式会社、1926年には豊田自動織機製作所を設立し、日
本の繊維業界の成長にも後押しされ、莫大な財産を築いていきました。
 大学を卒業後豊田自動織機に入社した喜一郎氏は、自動織機で得た資産を注
ぎ込み、「日本人の頭と腕で国産車を」という信念のもと、自動車事業への進
出を決断し、1930年に自動車の調査・研究を始めます。1933年には新事業とし
て社内に自動車部を設立し、自動車の開発を本格化させました。

 1935年には、米 GM 社のシボレーエンジンを模した A 型エンジンを搭載する
『A1 型乗用車』と『G1 型トラック』を試作完成させます。A1 型試作乗用車は、
そのほとんどの主要部品は輸入品でした。
 翌 1936年に、トヨタ自動車初の国産量産乗用車である『AA 型セダン』と『AB
型フェ−トン』を開発し、同年 9月に都内で大々的に発表会を行いました。

 この発表会を機に、トヨタ自動車は量産体制を整備し、急速に成長への道を
進むことになります。

 喜一郎氏は、1937年に自動車部を豊田自動織機から独立させ、トヨタ自動車
工業株式会社を設立します。
 トヨダからトヨタに名称変更したのもこの頃です。一説には、トヨダ(10 文
字)よりトヨタは 8 文字で末広がりのため、とも言われております。

 1937年には現本社工場である挙母工場も操業を開始しました。「ジャストイ
ンタイム方式」を本格導入したのもこの年と言われております。
 当時の自動車産業は米国に席巻されており、国内市場の約 9 割が米国自動車
メーカーの組立車でした。

 その背景の中、喜一郎氏は明確な目標を立てます。米国の大量生産方式を学
習しながら、日本の少量生産に適した変更を検討し、米国メーカーに対抗でき
るコスト削減を目標としました。金型やプレス等の設備投資を節約し、仕様変
更に対応できる設備を導入しました。

 海外先進国の CKD 生産が主流、国内独自商品は輸入部品を多用、という戦前
の日本の自動車産業は現在の中国、タイ他アジア各国と大差ない状況であった
にも関わらず、現在世界トップレベルの生産方式を構築できた、その礎は、こ
の頃から始まっていた「ものづくり」としての自動車生産の追及にあったと言
えるかもしれません。

                        <本條 聡>

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