アップダウンを繰り返しながらも、今後数年以内に日本を上回るとされる中国
自動車市場。
住商アビーム自動車総研の提携先であり、中国自動車業界に精通したコンサル
ティング会社オートビジョン有限公司の総経理である張浩群が、中国自動車業
界のホットな話題をお伝えするコーナーです。
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第53回『北京ジープの閉幕』
8月 30日、中国で初めて海外自動車メーカーとの合弁で設立された自動車メー
カーであった「北京吉普汽車有限公司」(北京ジープ)は、22年の歴史を終え、
静かに幕を下ろした。北京ジープの資産、人員の一部は、新たに設立された
「北京ベンツ・ダイムラー・クライスラー汽車有限公司」(北京ベンツ)に吸
収される形で再編され、生産を続けることになっている。
「北京ジープ」は、22年の歴史のなかで、輝かしい時期もあったものの、国
の政策に翻弄されたり、海外親会社に冷遇されるなど、不遇の道を歩んできた。
1983年、4年あまりの交渉を経て、元北京汽車製造公司は、アメリカ第四位の
自動車メーカーであるアメリカンモーターズ(AMC)と合弁会社(中国側が 68.
65 %、アメリカ側が 31.35 %)を設立した。
当初、中国側が投入車種の共同設計・開発を主張したものの、アメリカ側に
強く反対された。結果、米国で量産されていたチェロキーを投入したが、価格
が高いため販売台数が伸びず、鳴かず飛ばずの 10年間を過ごした。その後、1993
年に低価格版である 2 WD仕様のチェロキーを投入したことにより、北京ジー
プはもっとも輝かしい時代を迎えた。チェロキー 2WD が強烈に支持され、生産
が供給に追いつかない時期も続き、工場倉庫にあった欠陥品が買われていくと
いう伝説まで生まれた。
しかし、その輝きは長くは続かなかった。北京ジープは再び低迷に陥り、2000
年以降、三菱自動車のチャレンジャーなどの新車種を投入したものの、もはや
急激に発展する中国自動車市場に追いつかず、取り残されることとなった。
北京ジープの最大の失敗は、市場の中心であったセダン型車種を持ち込めな
かったことだと指摘されている。1995年前後、米クライスラーと新型セダンの
生産を計画し、従業員のトレーニングも開始したにも関わらず、国の自動車政
策(当時の三大三小政策)に阻まれ、チャンスを逃した。
北京ジープ 22年の歴史のなか、海外側の親会社も数回変わった。1988年、AMC
がクライスラーに買収され、更に 1998年クライスラーがダイムラーベンツに
買収された。しかし、北京ジープはいずれの変革のタイミングでも自分の存在を
アピールし、注目を浴びることが出来なかった。
そして、北京ジープはついに「解体的な再編」という運命を迎えた。今後、
北京ベンツの行方が注目されている。
<張 浩群>
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